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文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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75th Anniversary Grapes of Wrath Celebration

 先月、ジョン・スタインベック作「怒りの葡萄」の75周年を記念する大会で発表するために、カリフォルニア州立大学ベイカーズフィールド校(CSUB)に赴きました。学会は、写真のような雰囲気でした。一般の人達の席は後ろにたくさんありますが、プレゼンター達は自分の番まで、ゆったりとしたアームチェアでリラックスしていられるのが心地よかったです。写真のプレゼンターは、スタインベック研究におけるアイコン的な存在であるスーザン・シリングロー。発表の素晴らしさは言うに及ばず、一年半前に一度だけ少し話した私にも、懐かしげに声をかけてきてくれるようなやさしい女性です。
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 大会は “interdisciplinary (2つ以上の学問分野にまたがる、学際的な)”と言われるタイプのもので、歴史学や音楽の角度から作品に焦点をあてたものもあり、文学を深く探究する学会とは違った意味で刺激的でした。私の発表は、海外におけるスタインベックのレガシーという形で、大会スケジュールに組み込まれました。スタインベックの自然観と日本人が重んずる「和」の共通性などにもふれたため、アジア学の教授などからいろいろと質問が出て、「和敬清寂」等についても説明しました。彼らの目の輝きに、日本文化への敬意をうかがい知ることができたのも、今回の喜びの一つでした。
 75周年を祝って、キャンパス内の木やベンチに、(アート系の先生と学生が焼いた)セラミック・ブックスが、所々に吊るされたり置かれたりしていました。作品におけるキー・ワードを連想させる言葉や絵が示されたものです。研究者仲間のスウェーデン人と一緒に休憩時間を使って謎解きを試みましたが、タイムアウトでした。でも、金銭よりも知性を生かした粋な試みが、大学らしくて好感を持ちました。
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 3日間朝から晩まで学内に缶詰の学者達を慰問 するために、「怒りの葡萄」の時代にも大きく関連するカントリー・ミュージックと、子供達からの歌のプレゼントもありました。
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 学内でのディナータイムに出されたビールです。Grapes of Wrath を捩った命名がしゃれていますね。黒ビールに近い感じの、それでいて飲み易い味でした。

 アメリカ文学の研究においても文献学的な部分は多く、研究だけにあてられる何か月もの時間を使って気軽に多くの資料館を訪れることができる在アメリカ研究者達と、同じ切り口で研究していくのは至難の業です。日本人の精神的風土にも、しっくりと馴染むスタインベック文学、両者を洞察しながら、日本人の特質をも探っていきたいと考えるようになったこの頃です。

教授 久保田 文
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by bwukokusai | 2014-12-30 09:00 | 教員コラム

フェアトレード

街はクリスマスの飾りつけやイルミネーションで華やかににぎわっている。クリスマスなど贈り物のシーズンになると思い出すことがある。それは、欧米などのクリスマスツリーの装飾品等の多くが恵まれない国々の児童の過酷な労働によって作られていることである。この事は1,2年前のニューヨーク・タイムズ紙によって私は初めて知ったのであるが、タイムズ紙は先進国の消費者の身近な食べ物や衣服などの製品が、発展途上国や貧しい国々の子供たちの労働によって作られているという過酷な現実を伝えていた。またその中で、フェアトレードの役割も述べられていたのを思い出す。今回はそのフェアトレードについて少しふれてみる。

フェアトレードとは、主に発展途上国を対象とした貿易において、原料や製品を適正価格で継続的に購入することを通して、生産者および労働者の生活改善と自立を目指す活動であり、またそれを行う組織をさす。生産者が人間らしく暮らし、より良い暮らしを目指し正当な価格で売買できるように、そして、途上国と先進国、または企業間の取引が公平に行われるようにこのような活動が生まれた。故に、公平な(フェアな)取引をして、お互いを支え合うというのがフェアトレードの基本的な考え方である。その裏には、十分に生活できない賃金で働き、貧困に苦しむ途上国の生産者たちがいる。そしてその中には、長時間の労働を強いられ教育もまともに受けられない児童労働者もたくさんいる。立場の弱い生産者や労働者の生活改善と自立を目指すいわば貿易の仕組みである。

フェアトレードは、専門の機構や推進団体が明確な基準を設定し、それを守った製品にラベルを貼るなどして基準が守られていることを証明している。その基準は、経済的基準、社会的基準、環境的基準の3つの基準からなり、参加組織に対してこれらの基準に照らして定期的に監査が実施されている。

海外に比べると日本のフェアトレード認証製品の市場は小さいが、中でもコーヒー、紅茶は大きな割合を占めている。バナナ、チョコレートの原料のカカオ、スパイス、綿製品などの認証製品も増えている。その他、ナッツ、オイルシード、砂糖、ドライフルーツ、豆類、野菜などの中にも認証製品がある。

消費者はフェアトレード製品を選ぶことにより、世界で広がる児童労働の流れを変える力をもっている。クリスマスや年末に向け買い物に出かける機会も多くなると思うが、認証製品を選び少しでもこの流れを変えられればと願うばかりである。

教授 石田 名都子
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by bwukokusai | 2014-12-23 10:00 | 教員コラム

上手に頼めますか?


留学生対象の「日本語会話」の授業で「頼み方」というテーマを扱ったことがあります。

簡単なことを頼むのなら「消しゴム貸して」と一言言うだけで済むのですが、「100万貸して」と一言しか言わなかったらおかしいですね。また、同じ消しゴムを借りるのでも知らない人に借りるのでは話の流れが変わってきます。頼みにくい状況や内容であるほど、「貸してください」というお願いの言葉のほかに、いろいろ説明が必要になるわけです。

では、頼みにくい場面では、どんな説明を、どんな順番で、どんな表現で言えばいいのでしょうか。それには典型的な構造があります。負担が大きいことを頼む場合、日本語テキストのモデル会話では、話の流れはだいたいこんな感じになっています。(【 】内は言うべき項目)

  【話しかける合図】   例)今、ちょっといい?
  【頼む予告】       例)頼みたいことがあるんだけど。
  【相手の都合の確認】 例)再来週の日曜の午後って時間あいてる?
  【理由】          例)実はその日、演劇部で公演をやるんだけど、チケットのノルマがすごいんだ。
                   ひとり50枚売らなきゃいけなくて…。
  【相手への謝罪、迷惑への言及】 例)ちょっと高くて悪いんだけど/無理ならいいんだけど、
  【依頼】          例)チケット買ってくれないかな?
  【代償】          例)バイト代入ったら、なんかおごるから。
  

いつでも全種類言わなければならないと言うことはありませんが、これらは、頼んだり頼まれたりするときはたぶんこういう内容をこういう流れで言うだろう、という社会的な共通理解になっているので、違反すると「今この状況で、あれを言わないの?」「何でこんなことを言うの?」という違和感を呼び起こし、「感じが悪い」「頼み方がなってない」という判断を相手から下されかねないことになります。

ですので、「日本語会話」の授業では、まず上のような「言うべき項目と流れ」のパターンを確認しました。その後、役割を決め、頼む側頼まれる側に分かれてロールプレイをやってみました。

ですが、留学生の発話は、なぜかこの流れどおりにならないのですね。直前に流れを確認したはずなのに、「相手の迷惑がわかっている」ことを示す表現がなかったり、「頼みたいことがある」という前触れなしに、理由を非常に長々と述べてその間何が言いたいのかわからなかったり、理由を説明する前に唐突に頼んだり、日本人としては失礼だと感じる例がいくつも出てきたのです。どうして直前に練習したとおりにならないのか、と不思議に思いました。

ですが、単語や表現なら外国語に簡単に変換できても、話の流れについては、自分の国のものと違うと話し手が強い違和感を覚えるため、外国語のパターンに合わせづらいということがあるのではないでしょうか。

このことについて、大変興味深い研究があります。笹川(1999)では質問紙を使い、ある場面で他の人に依頼する場合に何と言うかを、日本、韓国、中国などの人たちに母語で書いてもらって調査しました。その場面とは「自分の所属している演劇サークルの公演で今度自分が主役をするが、そのチケットを周りの人に買ってもらう」というものです。

「悪いんだけど、このチケットを買ってほしいんだ」
日本人の回答結果を見ると、先ほど紹介した流れに即した表現をするようです。依頼するということは自分の利益のために相手の時間や行為を束縛することなのだから、申し訳ないという気持ちを示しつつ、遠慮がちに「助けてほしい」と言うのが典型的なやりかたで、また、依頼をする側もされる側も「お返しがなければならない」と想定する傾向があるそうです。

「このチケットを買ってくれるのはあなたしかない」
韓国人はまったく違うようです。まずは、その人が親しい知り合いであるかどうかで依頼がしやすいかどうかが決まり、親しい人でない場合依頼を断る場合も多いそうです。では相手が親しい場合はどうかというと、今度は遠慮自体が「水臭い」行為として好まれないため、頼み方は直接的になるのだそうです。また、頼むときは「あなただからこそ頼める」という相手との絆の強さを強調し、相手の「面子」に訴えるのだそうです。

「チケットがたくさんあって売りきれない。助けてくれ」
笹川(1999)では、中国人同士は大変なことでも簡単なことでも日本人より気軽に依頼したりされたりし、頼まれたら断りにくい、と紹介されています。先に述べたように依頼は相手を束縛するものとする日本人は依頼を相手に対して申し訳ない行為と考えがちですが、中国人にとってはそうではなく、「依頼される」ということは「それ相応の能力がある」と評価されたということで「面子」が得られることであるため、依頼することそのものが相手に敬意を払うことになるのだそうです。そして、日本人のような遠慮の表現を付け加えることはほとんどないということです。

この笹川(1999)の研究結果に従えば、それぞれの国の人は日本流の「依頼の流れ」に違和感をもつはずです。韓国の人は「友達なのに何でこんなに遠慮するの?」と、中国の人は「相手を認めて依頼しているんだから、無理ならいい、とか言ったらおかしいでしょ」と。その違和感はそのまま「それって、相手に失礼でしょ」という価値観につながるので「日本語ではこういう流れと表現で依頼する」と授業で習っても、気持ち悪く感じておいそれと自分の口には出せないということではないかと思います。

とはいえ、長く日本にいれば自然にこのような流れが身につく人もいて、日本的な依頼の流れですんなり話している人に「お国のやり方と違いますよね」と聞くと、「あ、本当に違いますね、何でだろう」と初めて気づいたりもするようです。そういう人は、日本文化の価値観と自文化の価値観を無意識にうまく使い分けているのでしょう。ことばは文化のなかで使われるものなのだとつくづく感じました。

引用文献:
笹川洋子(1999)「アジア社会における依頼のポライトネス(for you or for me)について~日本語・韓国語・中国語・タイ語・インドネシア語の比較~」『親和國文34』、pp154-181

准教授 星 圭子
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by bwukokusai | 2014-12-16 09:00 | 教員コラム

あれから20年

毎年文化祭期間中の11月2日に紫友会(本学の同窓会)主催のホームカミングデーが開催されます。ホームカミングデーというのは卒業後20年たった方々を招待し、旧交を温めるという催しです。今年は文学部(現 現代文化学部)1回生の皆さんが招待されました。私は担任の一人でしたので懐かしい卒業生たちに会えることにドキドキして参加しました。

1回生は1991年4月に入学し、1995年3月に卒業しています。1991年といえば、バブルがはじけ、その後「失われた20年」と言われた時代の始まりとされる年です。卒業年である1995年は、1月17日には阪神淡路大震災があり、3月20日には地下鉄サリン事件がありました。そのような社会状況の中でも卒業生たちは明るく生き抜き、「アラフォー」の少し世慣れした顔を見せてくれました。お仕事に頑張っている方、海外でしばらく過ごして帰っていらした方、育児中の方、それぞれ環境は異なりますが、不思議なもので会えば一瞬にして時を超えあの頃に戻ることができます。あちらこちらで笑いとおしゃべりの輪が広がっていました。日本人と結婚した留学生が岐阜からお嬢さんと共に参加してくれたのも嬉しい驚きでした。

今年米寿となられたH先生もお元気な姿を見せて下さり、スピーチをして下さいました。洒脱なお話しぶりは健在で、皆にエールを送って下さいました。

懇親会の後、国際文化・観光学科の展示会場に皆を案内し、今の学生たちの成果物を見てもらいました。日本語教員養成課程のパネル、インターンシップの展示物を興味深そうに見てくれていました。彼女たちの在学時にはどちらもなかったものです。教育内容に新しいものを付け加えることができていたことにちょっとホッとしました。

4年ごとに担任を務めていたころ、北竜湖でのフレッシュマンキャンプに行くたびに、「あ、あれから4年たった…」と一気に年を取った気分になっていたことがあります。オリンピックやアメリカの大統領選も4年ごとを意識しますね。1年ごとではなく、少し大掴みに人生をとらえると変化が分かりやすくていいと思います。そういえば、彼女たちが1年生だったとき、10年後をイメージしようという話をしたことを思い出しました。皆さんは10年後にどんな場所でどんな人たちとどのように生活していたいでしょうか。自分の方向性を確認しながら、これからもしっかりと成長していってほしいと願っています。
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教授 齊藤眞理子
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by bwukokusai | 2014-12-09 10:00 | 学生コラム

師走・・・・卒業論文の季節なのですが.....

 ハロウィンも終ったし、次ぎはクリスマス。“我が青春の興廃はこの日にあり”との心意気があちらこちらに漂い始める12月のキャンパス。消費税が8%になったにせよ、さらに10%になるにしても、クリスマスだけはどうあっても譲れないようですね。花祭(灌仏会)が何のことかわからなくても、クリスマスはクリスマスですね。私としては別に信仰と表現の自由にケチを付けるつもりもありませんので、その辺は誤解の無いようにお願いします。ただ、......すなおに言わせてもらうと、強力なコマーシャリズムと近代大衆化の意識とが呼応し、絶妙なコラボレーション的な展開を見せている文化現象で、どうやら“お子ちゃまたち”や“ご婦人方”にとっての“忘年会”であるらしい。いわゆる“楽しい民主主義”精神の下で、なんだか子供たちが“ダシ”に使われているようにも見えますが....。まぁ、強いて言えば、“平和の象徴クリスマス”、“戦後民主主義の象徴クリスマス”、目出度くもあり、目出度くもなし。 
 
 さて、12月2日は衆議院選挙の公示、投票は14日。学生によっては、今度が初めての衆議院選挙になることでしょう。今回の選挙は、表面的には「アベノミクス」への評価を下すことですが、実はそれ以上に大きな意味を持っています。経済問題だけでなく、国際関係(とくに日本を取り巻く環境とそれとのつながりで影響してくる国内の諸問題)に大きく関わって来ます。後世の評価で、「あのとき、日本は積年の諸課題を上手く解決していくハンドルを手にした」と言われるか、それとも「若干の機運は見られたものの、好機を逸してしまい、それが今日にまで続く混沌を招来した」と言われるか、本当に重要な選択のときです。マスコミは「大義なき総選挙」などといい加減なことを流していますが、相変わらずの不勉強なのか、わざと投票率を下げようとする魂胆なのか、これも後世に明らかとなることでしょう。
 皆さん、ちゃんと勉強してから投票に行って下さいね。
 
 2014年も残りわずか。来年は自然災害も引き続き起きるでしょうし、国際的にも国内的にも、今までとは違ったように見える出来事(いくつかは前もって予想できることなのですが)も起きてこざるを得ないでしょう。終わりの始まりが更に深化して、本格化して行くのか、それとも中興へのきっかけを掴むことができるのか。“信じるか・信じないか”と言う都市伝説のレベルではなく、“予測できるか・できないか”、“判断できるか・できないか”の問題です。目先のことをはっきり見るためには、少し遠いところのことも視野に入れて考えることが大切です。
 
 それでは皆さん、クリスマスはご勝手に!
 そして4年生の皆さん、卒論が大事な「〆」ですから、気合いを入れて上手く仕上げて下さい。

准教授 窪田 忍
文化学園大学 現代文化学部 国際文化・観光学科のHPはこちら


 
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by bwukokusai | 2014-12-04 06:23 | 教員コラム