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文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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《ルーブルよりも素敵な所――虫好きファーブルさんの天国》

学生に独りよがりなアドバイスはしたくない、とよく思う。独善的な判断もしたくない、としばしば考える。自分をいさめる時、よく思い出す偉人のエピソードをひとつ紹介しよう。

1878年から30年にわたって全10巻が出版された『昆虫記』で知られるファーブルは、文部大臣に招かれてパリに赴き、レジオン・ドヌール勲章を受けた。その際、テュイルリー宮殿では皇帝にも謁見している。しかし、その晴れがましい機会にさえ、彼は一刻も早く故郷に戻りたがっていた。驚いた大臣に、「君は、パリの博物館も見ないつもりなのですか?」と問われたファーブルは、「野のたぐいなき博物館の方が、私の気にもずっとかなっていますし、いごこちもよいのです」と答えたそうだ。

ファーブルの弟子のルグロによる『ファーブルとデュルイ』を読むと、「ファーブルは、もうパリなんかまっぴらだった。人間のこの巨大なうずの中にいる時ぐらい、深く孤独地獄を味わったことはない」というくだりがある。文部大臣のデュルイはファーブルとは旧知の仲で、要職につく前からファーブルの研究姿勢を認めていた人物だった。ファーブルの方でも、大佐時代から職務を立派に果たす彼に対して深く敬意を抱いていた様子だが、「野の博物館」から遠ざかって過ごす時間は、この昆虫学者にとって恐怖にも近い淋しさを伴っていたらしい。
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今の世にあっても観光客数1位を毎回のように誇る「花の都」、それも、ファーブルにとっては、華やか過ぎる地獄であったというわけか。このような場合、So many men, so many minds. (十人十色)とまで言わなくても、短く Tastes differ. (好みは、それぞれ)と言えば、おおまかな意味ではこと足りる。

あなたにとって、ルーブルよりも素敵な所は、どこだろう?それを守り、周りからも尊重してもらうためには、他人の愛する cozy nook (居心地のよい場所)も尊重しよう。それは何も場所に限ったことではなくて、違いを楽しみ尊重し合う共存の精神こそが、住み易い世界を作っていくのだから。「自分の居場所など、どこにもない」と感じる人の嘆きがなくなるように、一人ひとりが落ち着きと安らぎを見出せる社会を、認め合う心をもって築いていこう。

重ねて、学生諸君が皆、祝福された居場所を持てることも、願ってやまない。


教授 久保田 文
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by bwukokusai | 2014-04-29 09:00 | 教員コラム

ギネスブック(Guinness Book)

テレビや新聞などの報道で、よくギネスブックの名前を耳にする。最近では、日本のフィギュア界を代表する浅田真央選手と羽生結弦選手の今季の試合のプログラムでの得点が世界歴代最高を更新し『ギネス世界記録』に認定されたという報道があった。今回はこの『ギネス世界記録』について触れてみたい。

『ギネス世界記録』または『ギネス・ワールド・レコーズ』は、世界一の記録を収録している本であり、ある基準に従い世界一を認定する組織でもある。日本では長く『ギネスブック』として親しまれていたが、2002年度版から『ギネス世界記録』に変更された。現在100以上の国々で37の言語で出版されており、毎年新しい本が世界中で約350万部販売されているという。これまで累計一億冊以上の販売数の記録があり、世界一のベストセラー(現在著作権のある書籍)として自ら『ギネス世界記録』に認定されているという。あらゆる分野の世界記録と人間のもち得る力の可能性が列挙されており、百科事典的な役割も『ギネス世界記録』は果たしている。また、笑いを誘うような挑戦の記録まで網羅しており、もしかしたら自分にもできるかも知れないと思わせてくれる身近な記録も中には見つけることができる。そういった点が人々を惹きつけているのかもしれない。

この『ギネス世界記録』の発売元はギネス・ワールド・レコード社だが、実は世界的に有名なギネスビールと密接な関係がある。1951年アイルランドのギネスビールメーカーのギネス社社長のサー・ヒュー・ビーバーが狩猟に出かけた際、仲間たちとの間で、「狩りの獲物の中で世界一速く飛べる鳥はヨーロッパムナグロかライチョウか?」という議論になった。だが誰もその問いに答えることができなかったし、その後もこの疑問は解明されなかった。このような疑問に答えてくれる本があればきっと評判になるとビーバーは考えた。そこで彼はロンドンで情報調査会社を経営していたマクワーター兄弟に調査と出版を依頼した。そして1955年に『ギネス世界記録』の前身である『ザ・ギネス・ブック・オブ・レコード』が日の目をみた。それ以来、このギネス・ワールド・レコード社はギネス社の関連会社であったが、2008年にカナダの実業家が所有するグループ会社に買収された。

『ギネス世界記録』の誕生秘話も興味深いが、このギネスブックを通して「世界における最大、最小、最速、最高」等を知ることは、人間の可能性や世界の多様性を知る良いきっかけでもある。


教授   石田 名都子
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by bwukokusai | 2014-04-22 10:00 | 教員コラム

さくらさく

春になり、小平キャンパスの桜も満開になりました。よく言われることではありますが、もやのような薄紅色が無骨な幹に支えられて空いっぱいに広がる情景、花びらが風とともにくるくる舞い散り、歩く人を取り囲んで流れる情景など、千年を超えてその時代時代に流行する歌に詠まれてきた美しさは、やはり凄いものです。来年度、国際文化・観光学科は現代文化学部移転に伴い、新都心キャンパスへ移ることになっています。今年で見納めという気持ちと桜の花のありようがシンクロして感慨深いです。
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桜の開花とともに、今年も新入生が小平キャンパスにやってきました。この大学生活が彼らの人生において大きな学びと成長の時期になるようにと願っています。

国際文化・観光学科は、多様な文化と、そのような文化を持つ人たちにどう向き合うか(具体的な形を取るなら日本を訪れる外国の観光客にどうホスピタリティをもって接するかなど)を学ぶところですし、大学そのものが、答えの確定しない問いの答えを得るために、いろいろな意見をたたかわせながら、知恵を合わせるところです。大学の中ではいくどとなく今の自分とは異なる存在や考え方に出会うと思いますが、それらを曇り(偏見とか)なく認識し、今の自分にはない新しいものの見方を発見し、わくわくしてほしいです。

ただ、異質なものは今の自分を否定する部分を持つこともありますし、それを認めたら自分の立場が成り立たなく見えることもあります。日常生活の中では、そういうときに相手を攻撃する気持ちにならないと相手の論理に飲み込まれ自分が保てなくなることもあります。でも、攻撃はある意味弱さのあらわれで、異質な何かは、自分の論理は何かを見つめなおし自分自身はどんな立場で存在なのかをつかみなおす手がかりとなっているのも確かではないでしょうか。それも学びの機会です。

さらに、どちらかの論理だけが正しいからそっちを取る、というのでなく、異なる意見でも互いの主張のその奥を探って、どこかに理解可能な部分があるという前提で考え、それを見つけることができれば、そこからハイブリッドでより強靭な考え方、やり方が見つかる可能性もあります。

「その奥を探ろうとする」気持ちがなければ、自分と違うものを否定することが自分の論理や価値を守ることだということになります。他者の否定を声高に言う風潮はあちこちにあります。ですが、そこから何かが生まれるものだとは思えませんし、逆に自分自身を細らせていくのではないでしょうか。学生の皆さんはそれに損なわれないでいてほしいと思います。

先週の授業で、「小学校や中学のとき他の国から来た同級生がいて、言葉が通じなかったり、考え方がこっちと違っていると思うことも多かった。それがすごく面白いと思って、勉強しようと思った」と言った学生さんがいました。自分と違うことに出会うことは本来楽しいことでもあるのだと改めて気づかされて、頼もしく思いました。


准教授  星 圭子

文化学園大学 現代文化学部 国際文化・観光学科のHPはこちら
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by bwukokusai | 2014-04-15 10:00 | 教員コラム

うぐいす・ほととぎす・たんぽぽ

山口仲美先生の退職記念講演会に出かけてきました。擬音語・擬態語の歴史的研究をしていらっしゃり、2005年に日本テレビの「世界一受けたい授業」でも取り上げられ、2008年に紫綬褒章を受賞されています。以前からご著書を興味深く拝読していたので、是非「生山口」にお会いしたいといそいそと出かけました。ご講演の内容から、いくつかご紹介します。

春告鳥とも言われるうぐいす(歴史的仮名遣い;うぐひす)はホーホケキョという鳴き声で知られています。この聞きなしが行われるようになったのは江戸時代で、当時は法華経(ほけきょう)という意味が掛けられていました。
それ以前はというと、ホーホケキョからは想像しにくい「うくひず」、「ひとく」と聞きなされていたそうです。

「いかなれば 春来るからに うぐひすの 己が名をば 人に告ぐらん(どういうわけで春が来るとすぐにうぐいすが自分の名を人に告げるのだろう)」(『承暦二年(1078年)内裏歌合』美作守匡房)

「心から花の雫にそほちつつうくひずとのみ鳥の鳴くらん(自分から好んで花の雫にぬれながらどうしてあの鳥は『つらいことに羽が乾かない』とばかり鳴くのだろう)」(『古今和歌集』藤原敏行)

このような歌が残っているということは、当時の人にはその名が鳴き声から来ているという意識が広く受け入れられていたことを示しています。

「梅の花見にこそ来つれ鶯のひとくひとくと厭ひしもをる(私は、梅の花をこそ見に来たので、他のものに用があるわけではない。それなのに鶯が『人が来る人が来る』と嫌がっているのは、どうしたことだ)」(『古今和歌集』読人知らず)
この「ひとく」という聞きなしも一般的だったそうです。

ハ行音は時代によって変化しています。文献以前の古い時代はp音であったとされ、それが奈良時代にf音になり、江戸初期にh音になりました(ハ・ヘ・ホの子音の場合)ので、ウーグピス、フィートクという音として捉えられていたと考えられます。


「鳴かぬなら…」という信長、秀吉、家康の性格をあらわしたという川柳や山頭火の「ほととぎす明日はあの山越えて行こう」などでほととぎすはおなじみの鳥です。鳥の名としてはよく知られていますが、その姿、鳴き声は今ではあまり知られていないのではないでしょうか。平安時代には初音を聞くために夜通し起きて鳴くのを待つこともあったのだそうですし、江戸時代に入ってからも「目に青葉山ほととぎす初鰹」と初音を聞くことは初夏の風物詩でした。

このほととぎすという鳥名も鳴き声という擬音語に由来するものなのです。

「暁に名のり鳴くなるほととぎすいやめずらしくおもほゆるかも(暁闇の中で自分の名を名のって鳴いているほととぎすが、ことさらになつかしく思われるなあ)」(『万葉集』巻一八)

「ほととぎす」という聞きなしは江戸時代には忘れられ、「テッペンカケタカ」という今に伝わる聞きなしがされていました。ウェブで鳴き声を聞くことができます。どう聞こえるでしょうか。

ところで、ほととぎすという花をご存知ですか。何故鳥の名がついているのかと長年思っていましたが、ほととぎす(鳥)の写真を確認して納得しました。花のまだら模様がほととぎすのまだらとそっくりなのです。
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空き地などで春に見かけるたんぽぽ、この名前も擬音語から来ているのだそうです。
コロリンシャンはお琴。三味線はチリトテチン、チントンシャン、太鼓はテレツクテンテン。そして、小鼓はタン、ポポ。これらは単にその音色をあらわしているだけでなく、楽器の弾き方、打ち方を示す言葉なのです。
日本の伝統音楽の楽譜は記号で書かれており、それをお師匠さんが歌いながら教えてくださるのだとか。(記号の書かれた楽譜を示され、小鼓語を連発しながら鼓を打つお師匠さんに「まねて打ってください」と言われるけれど、パニックになったと小鼓を習った方が書いているのを読んだことがあります。)

ではなぜこの植物が小鼓なのかというと、たんぽぽ遊びに由来するのだそうです。たんぽぽの茎を裂いて水につけるとクルクルとしっかりと巻く特性を利用した遊びです。今の子どもが遊びと感じられるかは疑問ですが、面白いですね。試してみました。
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色々なことを知ることは楽しいです。次から次へと疑問が浮かび、それを調べていくことは楽しいことです。これから新学期が始まります。皆さんはどんな発見をしていくのでしょうか。

さらに、知りたくなった方は以下の本をご覧ください。

山口仲美 (2008)『ちんちん千鳥のなく声は』 講談社学術文庫
      原本は1988年に大修館書店から刊行されました。


教授 齊藤眞理子
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by bwukokusai | 2014-04-08 09:00 | 教員コラム