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文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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お客様との思い出

 私が大学を卒業し日本航空に入社したのは1985年でした。いわゆるバブル前で、日本の「のんびりした良い時代」の一番最後にあたる世代です。

 入社後、最初の10年ほどは客室乗務員として働いており、日本に居るのはひと月の内の半分くらいでした。多くの場合、4日ほど仕事して5日目に帰宅、2日間休んだら、また出かけるといった生活でしたが、年に一回くらい20日間出っぱなしで帰国しないということもありました。

 今回は、失敗談を中心に機内での話をさせていただきます。

 機内アナウンスは、最初に日本語、続いて英語、さらに路線によっては中国語やドイツ語といった現地語で行います。当然、同じ内容を繰り返すのですが、一度奇妙な現象が起きたことがありました。オーストラリアのグレートバリアリーフの中にハート形をしたサンゴ礁があり、ちょうどシドニー線に乗ると真上を通るので、毎回アナウンスをします。その時もきれいに見えたのでアナウンスを入れたところ、お客様が一斉に右と左に真っ二つに割れました。前方から後方に向かってアナウンスをしていたのですが、初めて見る光景でした。大人気のスポットで、毎回全員が片方の窓に集中するため、「飛行機が傾くので順番にお願いしまーす」というジョークまで用意していたのに、きれいに散らばっているのです。何か見えるのかと思い、私も反対側を見てみましたが、良くわかりません。みなさん、見落とすまいとして必死に探しています。もうお分かりでしょうか?私は日本語で「右」、英語で「LEFT SIDE」とアナウンスしたらしいのです。さらに私の英語を聞いた中国人CAが「LEFT SIDE」を広東語に訳したため、中国人旅客が左に加わり、「あれがそうじゃないか?」「いやこっちだろう?」と大混乱になってしまいました。モタモタしていたら通り過ぎてしまうので、すぐに修正のアナウンスをしたところ、ドドーと民族が大移動し、本当に傾くかと思いました。

 同じくアナウンスと言えば、こんなこともありました。

 隣のスポットにANAさんのポケモンジェットが停まっていました。私の乗務した飛行機はディズニー機とか特殊なものではなく、フツーのジャンボでした。ドアが閉まり、出発する時にチーフパーサーは搭乗御礼のアナウンスをします。私もいつものようにお客様の前に立ち、アナウンスを始めました。私の目の前に4,5歳の男の子がお母さんと座っていたのですが、飛行機が動き始めるや外に目をやったボウズは隣のポケモンジェットを見つけてしまいました。
 「ママ―、あっちが良かった!あっち、あっち、あっち・・」私との距離50㎝、アナウンスをしながらマイクの向きを変えてみますが、完全にボウズの絶叫も搭乗御礼の一部になっていました。「皆様、本日も(あっち、あっち)、ご利用いただきましてありがとうございます。(おりるー、おりるー)この飛行機は、大阪伊丹・・」
 もうダメです。私は搭乗御礼を中断し、「皆様、当機の左手にANAのポケモンジェットがおります。間もなくシャッターチャンスが参りますので、カメラをご用意ください。なお、あの飛行機は、中身はフツーの飛行機になっておりますので、外からご覧いただくのが最高でございます。」ボウズは見事に黙りました。満面の笑みで写真に納まっていました。他のお客様からは失笑とまばらな拍手が起こり、その上2日後に部長に呼び出されました。

 これらの話は仕事を通じての日常の一部ですが、お客様との楽しい思い出の一つになってます。仕事を通じてお客様と触れ合う一瞬が接客業の面白さだと思います。

 また機会があれば、お話しします。

准教授 小川 祐一
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by bwukokusai | 2013-09-24 09:00 | 教員コラム

大学1年生の読書体験記 : 感動し共感した作品、作家ベスト5

あの頃、何を読んで感動し、果たして何に共感したのか? 現代文化学部国際文化・観光学科では、大学1年生の「国際文化・観光研究」の授業の中で、「読書体験記を書く」という課題を設け、読書体験記を書いています。自分の印象に残った本や好きな作家、読書や図書館・書店について、その時々の思い出を書きます。2010年から2013年までに71名の読書体験記が集まりました。この4年間に書かれた体験記の中で取り上げられた作品、作家のベスト5を紹介します。

1 取り上げられた作品
<1位>『ハリーポッター』(11名=15.5%)
<2位>『ダレン・シャン』(5名=7%)
<3位>『告白』、『こまったさん』、『わかったさん』(4名=5.6%)
<4位>『ウォーリーをさがせ』、『カラフル』、『ノルウェイの森』、『バッテリー』(3名=4.2%)
<5位>『アンネの日記』、『1リットルの涙』、『海底2万マイル』、『恋空』、『五体不満足』、『シンデレラ』、『人間失格』、『ミッケ!(シリーズ)』、『名探偵コナン』、『夜行観覧車』、『容疑者Xの献身』(2名=2.8%)

2 取り上げられた作家
<1位>「J.K.ローリング」(11名=15.5%)
<2位>「東野圭吾」(10名=14.1% )
<3位>「ダレン・シャン」(5名=7%)
<4位>「湊かなえ」、「森絵都」、「山田悠介」、「寺村輝夫」(4名=5.6%)
<5位>「あさのあつこ」、「グリム」、「ジュール・ベルヌ」、「マーティン・ハンドフォード」、「村上春樹」(3名=4.2%)

ベスト5の中に、読んだことのある作品や作家、興味を持った作品、作家はありますか。
読書体験記では、それぞれが本との出会いや読書が自分に与えた影響などを綴っています。「読書が苦手だった自分が、家族や友人の勧めで、読書に興味を持つようになった」、「中学校高等学校の10分間読書の時間をきっかけに、新しい分野の本の魅力に気がついた」、「テレビドラマや映画を観て、原作に興味を持って読み始めた」、「1冊の本を読んでから、同じ著者の他の作品も続けて読みたくなった」、「昔読んだ本を読み返してみたら、感動や共感する点が違っていた」、「高校時代に読んだ本が、大学の学部選択や将来を考えるきっかけになった」など、さまざまな体験が語られています。
あなたも読書に関する感動や共感を振り返り、その驚きや発見を文章に書いてみてはいかがですか。

教授 吉田 昭子
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by bwukokusai | 2013-09-17 09:00 | 教員コラム

コリー・テンボーム博物館 Ⅲ

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「コリー・テンボーム博物館」はこちら
「コリー・テンボーム博物館 Ⅱ」はこちら

 哀歌第2歌には次のように歌われている「幼子は母に言う、パンはどこ、ぶどう酒はどこ、と。都の広場で傷つき、衰えて、母の懐に抱かれ、息絶えてゆく」、「女がその胎の実を、育てた子を食い物にしている」ダビデ、ソロモンにより建設された神殿都市エルサレムがバビロニアにより包囲され、もはや食べるものがなくなった際の悲惨である。そのような辛酸を、歴史の中で繰り返しなめざるをえなかったユダヤ人。空腹・飢餓というものはまさに実体験してみない者にはそれがどれほど厳しいものかはわからない。

 しかし、人間は困窮に喘ぎ、苦難を味わったからといって、他の者の苦しみに涙する者となるとは限らない。艱難が、試練が玉を創り出すわけではない。アウシュビッツを経た民は、必ずしも他の困窮する民の苦悩に思いを巡らしてはいない。イエスを待つまでもなく、すでに『旧約聖書』「レビ記」において、「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」と命ぜられている。イスラエルはアブラハム契約に基づき、パレスチナの地は自分たちのものである、と主張する。しかし、アラブ人たちもアブラハムの子孫ということになっている。アラブ人もイスラエル人の隣人である。アブラハム契約の中心は、アブラハムの民によってすべての民に平和が訪れるべし、である。「主である私は、恵みを持ってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として、あなたを形造り、あなたを立てた」(「第1の僕(しもべ)の唄」の付論、『イザヤ書』42章6節)。万国の平和実現こそ、ヤハヴェによってイスラエルの民との間で交わされた契約ではなかったのか。

 2012年11月29日国連総会において、パレスチナ機構の「国家」へと格上げ決議がなされた。この決議に反対したのは主要国では、イスラエル、アメリカ、チェコ共和国である。イスラエルは制裁として、ヨルダン川西岸地域に3,000戸の住宅を建設すると宣言し、代替徴収(イスラエルの港湾を使ったパレスチナ側の貿易については、関税をイスラエルが代わりに徴収し、その後自治政府に送金している)した100億円の税収をパレスチナ側に当初の約束通り送金することをしない。優越した経済力と軍事力に依存して、果たして彼らは終末を迎えることができるのであろうか。

教授 木村 清次
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by bwukokusai | 2013-09-10 09:00 | 教員コラム

Thoughts About the Countryside

What a hot summer! I hope everyone had a chance to relax and enjoy the break, despite the heat. As for my family and me, we spent a couple days in the ‘countryside’ of Yamanashi, visiting an onsen and enjoying a beautiful view of Mt. Fuji from our hillside hotel.

I always enjoy a chance to get outside of Tokyo and see the countryside, although, where I grew up in America, even the countryside of Yamanashi seems like the city to me. As a small boy, I lived on a farm. The closest ‘town’ was 5 kilometers away and this town had only 50 people. Our house was so far in the countryside that it wasn’t even necessary to close the curtains at night since the closest neighbor lived more than a kilometer from us. I grew up spending my summers working on the farm, taking care of the animals, riding horses and going swimming in the nearby stone quarry. Now, after all these years living in the city, I think I’d really miss the convenience of city life and the many interesting things to do there, but I still love the countryside and a quiet life surrounded by good people, nature and animals. So the saying must be true, “You can take the boy out of the country, but you can’t take the country out of the boy.”

US countryside
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教授 チャールズ ヒューベンソール
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by bwukokusai | 2013-09-03 09:00 | 教員コラム