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文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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二つの「私」 ― 日本人に「私」はあるのか? ないのか?

 前回のコラムでは、「日本には『世間』はあるが『社会』は存在しない」という世間学の主張は、日本語のあり方からも裏付けられるという話をしました。
(「世間学と日本語」http://bwukokusai.exblog.jp/16553363/)
 その後、このテーマについて第28回日本世間学会でも研究発表しました(発表題目:「世間と日本語に通底するもの -主体性と第三者的視点の欠如-」)。

 発表はおかげ様で無事終わったのですが、発表の後の質疑応答で非常に考えさせられるコメントがありました。
 その要点を紹介しますと、「あなたは、日本人には『私』があると言っているのですか? ないと言っているのですか? 発表を聞いていると、そのどちらでもあるように思われます。言っていることが矛盾していませんか?」というものでした。

 発表した内容のうち、そのコメントに関連する部分は以下のようなものでした。
 
①「今度、結婚することになりました。」という言い方がある。日本語では、たとえ自分で積極的に決定したことでも成り行きで決まったような表現(自発表現)がよく用いられる。このように、「積極的な行為」、「主体性」というものを表に出すことが避けられるのは、それだけ、日本社会においては「主体性」が大切にされず、むしろ疎んじられていることと無関係ではないのではないか。なお、日本における「主体性」の位置づけに関しては、「~ことになる」の他の自発表現(「~と思われる」「~と考えられる」「見える」「聞こえる」)や敬語の成り立ちも参考になる。
②日本語で自然な文を作るためには「私」との関わりが表現される必要がある。「『私』との関わりの表現」とは、相手が「私」にとって上か下か親か疎かを表現する敬語がそうであり、相手との関係で「私」が「オレ」になったり「僕」になったり「わたくし」になったりする人称詞のバリエーションもそうだ。また、「あげる」と「くれる」の使い分けや受身による被害感情の表現もその一例だ。これらは、日本語研究の中で日本語における「自己中心性」を示す表現と呼ばれるものである。

 以上のような発表内容に対して、最初に紹介したコメントが出されたのでした。一方で、日本人は「主体性」に欠けると述べておいて、他方で「自己中心性」が強いとはどういうことか? いったい全体、「私」はあると言っているのか、ないと言っているのか?というわけです。

 このような疑問を受け、来る3月7日(木)に開催される第10回現代文化学部学内研究発表会で、日本語における「私」のあり方をめぐって考えてみたいと思っています。

 結論的なことをひとこと述べますと、日本語を通して言えるのは、「主体」としての「私」の存在感は希薄だが、「場所」としての「私」の存在感は濃厚に認められるということです。つまり、「私」にも二種類あるのであり、そこを押さえれば、日本語に見て取れる「主体性」の希薄さと「自己中心性」の強さとは決して矛盾するものではない、といった説明をする予定です。

                                                  教授 加藤 薫
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by bwukokusai | 2013-02-26 08:00 | 教員コラム

二人のドナルド・キーン観

今年度の私の卒業研究ゼミは、ドナルド・キーン一色に染まった感があります。ゼミ生の二人がともにキーンを卒論のテーマに選んだからです。国際文化を学ぶ彼女たちがキーンという日本文学の研究者に惹きつけられたのは、東日本大震災の後多くの外国人が帰国する中で、キーンは逆に日本への永住を決意したことを知ったためです。「(震災後の)このような時だからこそ日本に寄り添いたい」と言うニューヨーク生まれのアメリカ人はどんな人物なのか。素朴な問いかけから彼女たちの卒業研究は始まりました。

テーマが決まると、次は文献の読解です。キーン自身による多くの著書が論文の主な資料になりました。二人とも同じ人物に注目していますので、当然のことかもしれませんが、参考文献もかなり重なります。本を貸し借りして、感想を交換するシーンもしばしば「目撃」しました。ここで、教員の側からみると、大変興味深いことが起きました。二人は、同じテーマを掲げて同じような文献を読んでいるのに、面白いと感じる場所がずいぶん異なっているのです。

一人の学生は、キーンが列挙した日本人からよく尋ねられる質問に関心を持ちました。「日本語は難しいですか?」「俳句は理解できますか?」などです。あなたも日本に住む外国人に聞いてみたりしていませんか? そして、その時どんな返答を期待していますか?「敬語以外に不自由は感じていません」とか「俳句なんてそんなに難解なものではありません」なんて答えられたらどうでしょう? キーンは、このような場面では、質問者を少し「安心」させるために、わざと「もちろん難しいです」とか「やはり日本人にしか俳句は理解できないでしょう」と答えることがあるそうです。日本人が自文化の特殊性を過剰に意識しがちになることを、キーンが教えてくれているようだと彼女は感じたそうです。

もう一人の学生は、キーンの生い立ちや戦時中の体験について、詳しく調べていました。19歳のときに『源氏物語』と出会い、第二次大戦中に海軍語学校で日本語を学んだキーンは、1943年初頭から終戦時まで、翻訳や通訳を担当する将校として従軍しました。そして、アッツ島、レイテ島、沖縄などで日本人捕虜と直接向き合ったのです。このときに、語学校で教えられた「日本精神」や「玉砕」がいかに紋切り型のものであったかを確認したと言います。そして、キーンが戦死した日本兵が残した日記を家族のもとに返すために、上官の目を盗んで隠そうとしたというエピソードは、学生のキーン観を決定的なものにしました。

このように、二人の着目点は面白いほどに異なっていました。でも、キーンという人物を通して日本を見つめなおすという点においては、共通するものがあったと思います。国際文化を専攻した学生らしい独特のキーン研究が仕上がりました。

*2月6日に行われた2012年度国際文化・観光学科の卒業研究発表会の様子は、以下のページでご覧下さい。
平成24年度 卒業研究発表会 http://bwukokusai.exblog.jp/17278675/
                                                 教授 中沢 志保
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by bwukokusai | 2013-02-19 08:00 | 教員コラム

言うことを「聞く」のか?「聴く」のか?

 ・「しんのすけ! 言うこと“き”きなさい!!」(母親ミサエの毎度の咆哮)
 ・「カエルの歌が“き”こえて来るよ、.....」
 ・「ねぇねぇ、“き”いて“き”いて。きのうさぁ.......。あいつ.....じゃねぇ?」
 ・「私の言うこと、ちっとも“き”いてくれない。きっと私のこと、愛してくれてないのね!」(男はこういうセリフを“き”くと、反射的に「コイツ、莫迦だな」と思ってしまう。逆の場合もまた同じかもしれませんが....。女心はよくわかりません。)
 ・A「皆の意見を“き”いて決めればいいじゃないか。なぜ俺の意見は“き”けないんだ!」
  B「あんたの意見は何度ももちゃんと“き”いたよ。でもねぇ......。やっぱり却下!」
 
 
 

 「きく」とは、その基本は音や声が耳の鼓膜に達して、その刺激を脳が感知すること、とでも言えそうです。そこまで細かく解説しなくても、「きく」ことはやはり「耳」と大いに関係しています。しかし、先に挙げた例文からは、ただ単に音や声が耳に達し、脳が感知するという理解だけでは済まないものがあります。
 そこで日本語の得意技である漢字を利用して、この問題にちょっとだけ迫ってみましょう。

 「きく」に当てられる漢字には、聞く・聴く・効く・利く・訊く等々がありますが、ここでは「よく“効く”薬」「気が“利く”娘」「“訊か”れたことに答える」の3つは、場違いなので脇に置いて話を進めます。そうすると、残ったのはやはり“耳”の字を含んでいる「聞く」と「聴く」です。
 では、「聞」と「聴」とは同じこと、あるいはおおよそ似たような意味なのでしょうか?

 確かに、こんにちでは「聞」も「聴」も適当に使われているような感じがします。強いて言えば、「聴」の方が注意して、耳を傾けて、音や声を「きく」ことだ、といった具合でしょう。
 しかし、このちょっとした相違に、実はもともとあった大きな、あるいは「聞と聴とは、最初の頃はまったく反対の意味で使われていた」とでも言ってよいような痕跡が残っているのです。 

 聞:モン/ブン:きく;wen2、wen4(注: “ローマ字 +数字”は現代中国語での“読み+声調”)。 
 聴(聽):チョウ(チャウ)/テイ;きく;ting1、ting4(同上)。
 
 

 漢字の場合、その発音が似ているとか、あるいは同じ系統にある際には、往々にして意味の上でもイメージが繋がっていることがよくあるのですが、「聞・聴」は、まったく別ものです。ということは、たとえ“耳”つながりではあっても、最初の頃違った意味を持っていたのではないか、という疑問が浮かんできます。「捜査に行き詰まったら、原点に返れ」と言ったのは、シャーロック・ホームズなのか明智小五郎なのか、それとも....。横道にそれずに、今はこの言葉に乗っかって、「原点/原典」を訪ねてみましょう。一気に約2,500〜3,000年前まで、そう、孔子様を飛び越して、更にもっと昔へ。

 「書」という名前の書物があります。2,500〜3,000年前ころの当時のことが、当時の言葉でリアルタイムに記録されているものだとして、今日まで伝承されてきた書物です。「書」とは“記録”というほどの意味です。また、これは大昔の記録だということで、「尚書」とも呼ばれます。“尚”=上(時間的に“上”、つまり川上というときのあの“上”)=昔の書(記録)ということです。後に儒家がそれを自派の経典に取り入れて独占し、「五経」の一つとなってからは「書経」とも呼ばれるようになりました。内容は主に古代の聖王たちの言行録です。
 もちろん、孔子様を開祖に仰ぐ儒家の手によって書物の形になる以前に失われてしまった部分もたくさんあるようですし、また失われたところを適当に補ってみたり、さらにはただ聖王の名前を借りてきただけで、内容は後の人の手によるまったくの“創作”というものも含まれています。それでも「書」の中に使われている単語や文体などの研究を通して、ほぼ古代の記録そのもの(本物)であろう、と評価・判別されている部分があります。ある程度まとまった文章で、文字の用法がよく確定できるものは、いまのところ、この「尚書」が一番古いものです。
 前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ本題に入ります。

 この尚書の中の“確かだ”とされているところでの用例を調べると、次のようなことがわかります。
 聴(聽):最高神である“天”の命令・意思(声なき声)に「きき従う」こと。また、この“天”の命令を受けた王(天子)の命令に「きき従う」こと。つまり、絶対的に正しい者の命令を感知して、それに服従すること。ここには「上位・絶対者 → 下位・服従者」という上から下への方向(下降の縦方向)が見て取れます。(少し話がそれますが、聴(聴)・聖・徳(悳)は一連の関係を持つ字で、天の命令・意思を理解できる者(天の声なき声を正しく“聴く”能力を持つ者)が“聖”。天の命令・意思に合致する行為が“徳”。そして役所は“庁/廳”です。)

 聞:①“天”が、人々の願いや希望の内容を知ること(必ずしもその願望を成就させてやる義務は負っていない)。ここでは「下位・服従者 → 上位・絶対者」という下から上への方向(上昇の縦方向)が示されています。

 聞:② 自然物の声や音が耳に入ること。ここでは上位と下位の違いは示されておらず、横の方向性(水平の横方向)が見られます。
 
 さて、「聴」と「聞」のもともとの意味がわかったところで、これを冒頭であげた例文に当てはめてみましょう。そうすると話し手や「きき」手の立場や態度、心の中の思いが、その言葉の物腰以上にはっきりとしてはきませんか。

 ・ミサエは“しんのすけ”に対して絶対者として振る舞っており、自分の命令は絶対に正しいと確信して「聴け」と絶叫しているが、それに対して“しんちゃん”は得意の揚げ足取りでミサエの絶対性をぶち壊す。「それって、大人の都合なんじゃな〜い?」
 ・カエルの歌は、自然物の音声ですから横方向に「聞こえ」てきますよね
 ・おしゃべりの類いも、所詮はカエルの歌と同様に横方向に「聞こえ」てきます。
 ・わがまま勝手なことを一々「聴い」てられますかって。お前を崇め奉ることが愛の証か?!
 ・A:俺はA様だぞ!皆の意見を“聞い”たとしても、俺様の意見だけは特に「聴け」!
  B:お前マトモか?相当おかしいんじゃねぇのか?お前の話はちゃんと「聞い」たけど、自分のメンツと都合だけじゃねぇか。「聴か」なきゃならぬほどの中身は、これっぽっちもねぇじゃねぇか!

 と、まぁ、あからさまな状況が、くっきりと浮かび上がって参ります。「聞く」とか「聴く」とか、敢えて「賢しらの唐心(さかしらのからごころ)」を持ち出さない方が、そしてただただ「きく」と「ひらがな」で押さえておくだけの方が、角が立たずに、角を立てずに丸く流して行けるのでしょうけれど....。言葉の真意をつかむには、やはりそれなりの学問と勇気とが必要なのかもしれません。

准教授 窪田 忍

文化学園大学 現代文化学部 国際文化・観光学科のHPはこちら
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by bwukokusai | 2013-02-14 10:53 | 教員コラム

平成24年度 卒業研究発表会

 2月6日(水)午後、国際文化・観光学科の卒業研究発表会が行われました。
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 研修などの理由で参加できなかった学生が、数名いましたが、それぞれ4年間の学びの集大成を堂々と発表していました。発表者と卒論題目は、以下の通りです。

国際観光コース
★中澤 明日香  「訪日中国人旅行者の現状と課題」
★王 銀石    「中国――日本の観光による交流拡大の考察――」
★小此木 藍子  「美ら島沖縄における観光の考察」
★金 水晶    「韓・米・仏3カ国における日本旅行ガイドブックの比較研究」

国際文化コース
★青島 理佳   「ストリートファッションと『JILLE』」
★中澤 美里   「スタジオジブリのビジネスモデル」
★中田 早弥香  「児童対象の日本語教育」
★玄 昭煕    「日・韓 歴史教科書の比較」
★松本 美里   「ドナルト・キーンから見た日本の魅力」
★森本 真梨   「外から見た日本――ドナルド・キーンの視点から――」
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 学生の皆さんは、少し緊張しながらも、時間をかけて取り組んできたこれまでの成果を自身の言葉でしっかりと表現していました。発表と質疑応答の後、両コースの代表の先生方から、一人ひとりの卒論および報告内容に関して丁寧な講評をいただきました。資料調査の手法や文献の読解などにおいて独自性(オリジナリティー)を持った論文については、そのすぐれた内容が具体的に取り上げられました。会場にいた下級生も大いに刺激されたのではないでしょうか。
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by bwukokusai | 2013-02-07 15:00 | ニュース&トピックス

「ものくさ太郎」のお話

 ものぐさ太郎は朝寝坊           ものぐさ太郎は家持たず
 お鐘が鳴っても目がさめぬ         お馬が通れど道の端(はた)
 鶏(コケコ)が啼(な)いてもまだ知らぬ  お地頭(じとう)見えても道の端

 ものぐさ太郎はなまけもの         ものぐさ太郎は慾(よく)知らず
 お腹が空いても臥(ね)てばかり      お空の向うを見てばかり
 藪蚊(やぶか)刺しても臥てばかり     桜の花を見てばかり

 これは、室町時代に成立した御伽(おとぎ)草紙『ものくさ太郎』の主人公をうたった、北原白秋(1885~1942年)の「物臭太郎」という童謡(振り仮名は筆者)です。ものぐさ(懶・物臭、古くは清音の「ものくさ」)とは無精なことやそうした性質の人のことですが、この歌詞からは太郎のただならぬ物臭ぶりがうかがえます。ただ、「慾知らず」は少しちがっていて、太郎は1町四方(約3,600坪)の屋敷に邸宅をもつ夢を抱き続けながら、道端で野宿生活をしているのですが。
 ある日、餅を村人から五つもらいその一つを道に転がしてしまうものの、誰か通るまで拾わないことにします。3日たって、そこへ鷹狩りに行く地頭(一帯の領地を管理する領主)の一団が通りかかります。太郎は餅を拾ってくれといいますが、地頭は無視して通り過ぎようとします。太郎は「餅を拾ってくれるぐらいたやすいのに、それをしてくれもしない」、「あんなに物臭な領主がよくも領地を治めることができるものだ」と、地頭にさんざん悪態をつき、「あらうたての殿や(ああなんとなげかわしい殿様なんだ)」とこき下ろします。
 地頭は腹もたてずに太郎を諭します。
 「命助かる支度をせよ。一樹の蔭(かげ)に宿るとも、一河(いちが)の流れを汲むことも、他生の縁となり。所こそ多きに、わが所領のうちに生まれあうこと、前世の宿縁なり。地をつくりて過ぎよ」(生きていく算段をしなさい。同じ木の下でいっとき一緒に宿ることも、同じ川の水を汲むことも、前世からの縁だ。広い世の中から、あえてこの領地で一緒に生きていくことになったのも前世からの縁で決まっているのだろう。地を耕して作物を作って暮らしなさい。)
 地頭は、土地を与えるなどの援助を申し出ますが、太郎はこれを拒否します。それでも地頭の計らいで村人たちから食事が届けられ3年間暮らしたあと、京に長夫(ながふは長期の労役に就く者)として上ります。その旅の中で太郎はまったく別人に変身し、働き先では実直な働き者として評判となります。
 労役を終えて帰郷することになり妻として連れ帰る女性を都で見つけます。その女性に和歌の素養をみいだされた太郎は、きちんと身なりをととのえ、ついには帝に招かれて和歌を披露し才能を認められます。帝の命により太郎のルーツが調べられ、ある天皇の第二皇子であることがわかります。太郎は信濃の中将に任命され、甲斐と信濃の2国が与えられます。出世した太郎は帰郷して120年間も善政を治め、領民の信頼を受けて、最後には夫婦で神となりました。人は前世からの定められた縁によって生かされ共に生きているのだというお話です。

 東北大学大学院の佐倉 由泰先生は、『今を生きる 東日本大震災から明日へ! 復興と再生への提言』(1.人間として 座小田 豊・尼崎 彰宏編 東北大学出版会 2012年)第三章「縁」―― 御伽草子『ものくさ太郎』に学ぶ―― において、次のように述べておられます。

 ―― 今日言われる「絆」が互いに支え合おうという前向きな意思を通して生まれ、はぐくまれる
 自立的な結びつきであるのに対し、「縁」とは、今の自分たちが知らないところで既に定められてい
 るもので、意思とは別に、選別の余地なく受け入れるしかないつながりである。共にがんばる人と人
 とがはぐくみ合い、深め合うのが「絆」であるのに対して、「縁」は、同じ時に同じ場に居合わせたこ
 とを、一つの定めとして、諦念を持って緩やかに引き受けるような関係である。――

 佐倉先生は、最後の節で次のようにも書いておられます。
 ―― 私たちは、「今を生きる」とともに、「今生かされている」。震災に対する「復興」の中、私たち
 は、最先端の科学に多くを学ぶ必要がある。それと同時に、私たちの祖先がはぐくんだ古典知、人文知
 にも多くを学ぶべきであると思う。古典文学にも人を生かす力がある。――

 今回はとても長い文になりました。佐倉先生のエッセーから受けた感銘ゆえとお許し願えればと思います。
 そうそう、太郎は、多賀大社(松本市)に、おたが明神として(穂高神社との説もある)、妻はあさい権現として祀られ今も人々から厚い信仰を受けているそうです。
                                                  講師 西村 修一
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by bwukokusai | 2013-02-05 08:00 | 教員コラム