文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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憧れのブライダルコーディネーター in Okinawa

今週は国際文化・観光学科2年 日名地 愛美さんがコラムを寄稿してくださいました。

国際文化・観光学科は2年時からインターンシップに参加できます。日名地さんはこの夏参加し、その体験を報告してくれました。さまざまなブライダルコーディネーターとしての実践的な経験ができた様子が生き生きとつづられています。ぜひお読みください。

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 私は8月15日~30日までの二週間、沖縄ワタベウェディング(株)様のアクアグレイス・チャペル(沖縄県読谷村)でインターンシップをさせていただきました。仕事内容は主に、①ブライダルコーディネーターのアシスタント ②チャペル清掃 ③ミーティングへの参加・モデル役 ④列席の皆様の案内 ⑤撮影のアシスタント ⑥テーブルセッティング ⑦打ち合わせ資料の整理 などです。
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 挙式をより良いものにするため、コーディネーターと介添えスタッフが集まり定期的にミーティングが行われます。初日はそのモデル役を経験しました。実際にウエディングドレスを着てみると、とても重量感があり歩きにくいものであると身を以て感じました。その日はドレスの直し方について入念に打ち合わせが行われました。祭壇を上る際に、コーディネーターや介添えスタッフは、新婦さんが上りやすいようドレスを持ち上げるのですが、持ち上げすぎるとパニエ(ドレスのスカートを膨らませ、スカートラインをきれいに見せるためのもので、ワイヤーが入っている)やパンプスが見えてしまい綺麗ではなくなるので、細心の注意が必要であるとのことでした。モデル役として実際に体験できたので、とても分かりやすく勉強になりました。
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 そして、空いた時間に定期的に製作していたものがペタルです。ペタルとは、バージンロードの両端に敷く花道のことです。10m程ある白い生地にグルーガン(スティック状の樹脂を溶かして接着する道具)を使い、造花の花びらを一枚一枚貼り付けていきます。フラワーシャワーの製作も行いました。バラの花びらを一枚一枚丁寧にちぎっていきます。どちらも根気が必要な作業なので、集中力を保つことが大切でした。
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 そして何件か挙式にもつかせていただきました。実際にインカム(マイクとヘッドフォンが一体になった通信機器)をつけ、コーディネーター・介添えスタッフ・美容スタッフ・サービススタッフの全員で状況確認をしながら式を進めていきます。とても緊張しましたが、式が無事に終わった際の達成感は大きかったです。
 私が行ったアクアグレイス・チャペルでは、東アジアのお客様も多く、コーディネーターが英語・中国語を使って説明をしている場面をよく見ました。社員の方にお話を伺うと、ブライダル業界でもこれからは中国語を話すことができると、とても便利だとおっしゃっていました。
 新郎新婦にとって、結婚式とは人生で一番大きなイベントであるといっても過言ではありません。そのような記憶に深く残る思い出を作り、関わることができる仕事はあまりないと思うので、ブライダルコーディネーターとは、とても素敵な仕事だと思いました。今回、新郎新婦に近いところで仕事ができ、とても貴重な経験となりました。

国際文化・観光学科2年 日名地 愛美

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by bwukokusai | 2012-09-25 10:30 | 学生コラム

観光資源としての「風」

 観光者(観光をビジネスとして論じる場合の観光客)が見てカンショウ(観賞、観照、鑑賞)したい、体験したいと思う対象を観光資源といいます。観光の動機となるものすべてが含まれます。有形、無形を問わずあらゆるものが観光資源となりえます。「音の風景」とか「パワースポット」とかいうことばを聞いたことがあるでしょう。これらもれっきとした観光資源といえます。
 自然現象としての風も観光資源の一つです。風にもいろいろな風があります。清らかでさわやかな清風(せいふう)もあればすさまじい凄風(せいふう)も吹きます。
 清風には、たとえば竹林に吹くそよ風があります。京都嵯峨野(さがの)の竹林の道を歩くのが私はとても好きです。竹林の道から落柿舎(らくししゃ)までゆっくりと歩きます。京都には、観光客に人気のある竹林の道が他にもいくつかあります。
 秋田県能代市の沿岸には黒松の松原があって、海からの風が吹くと、松のこずえをゆらして静寂な中に繊細な音を聞かせてくれるそうです。「松籟の音」(しょうらいのおと)といいます。音の風景にも選ばれています。
 凄風では、なんといっても本州最北青森県の津軽半島の北端にある竜飛岬(たっぴみさき)がよく知られています。若者たちに二輪車によるツーリングで人気のあるところです。ただ、冬には降った雪を吹き飛ばすほどの風が津軽海峡から吹き上げて積雪もほとんど見られないといいます。
 さて、風の中国における原字は、鳳(おおとり)(伝説上の大きな鳥)の字だったそうです。これは、中国では鳳を風神(風の神)の使いと考えたことによるとされています。京都宇治にある平等院の鳳凰堂には屋根の上に鳳凰(大鳥の雄と雌)が据えられていますが、その雄が風というわけです。
 宮沢賢治の短編小説『風の又三郎』には風の神の子とおぼしき転校生が登場します。東北の山村の小さな学校の子らとこの転校生との9月1日から9月11日までの交流を描いたもので、転校生は地元の子供たちに疎まれて11日間で学校を去るというお話です。三陸地方では9月初めごろには風が強く昔から農作物に被害を与えてきたことを考え合わせれば納得のいくお話ではあります。
 風は昔から農作物に被害を与える存在でもありました。そのため、風の神を鎮める祭礼が日本各地で行なわれてきました。中でも、6月28日から1週間行なわれる奈良県三郷町(さんごうちょう)龍田大社(たつたたいしゃ)の「風鎮祭」(ふうちんさい)は有名です。9月1日から三日三晩踊り明かすことでよく知られている富山市八尾の「おわら風の盆」は20万人以上が訪れる大きな祭りです。一説に、風の神を鎮めて豊作を願う祭りが起源だともいいます。8月20日からの10日間には前夜祭が行われ地域外から訪れる観光客も輪踊りに参加することができるそうです。府中に住む私の義姉なぞは高齢となった今でもよくこちらの前夜祭に浴衣を持ってでかけます。観るだけの祭礼だけでなく、参加できる前夜祭もあって大きな観光資源となっています。
 風が吹かないと困る人々もいました。大型の帆船でお米や酒、衣類、海産物などを運ぶ人たちです。こうした運送を廻船といいました。日本の台所大坂と江戸や東北を結ぶ廻船です。東北からはお米・海産物、北海道からは海産物が、一方上方からは衣類・酒などが運ばれました。特に上方から江戸に運ばれる酒は「下り酒」と称され人気を得たといいます。江戸時代には大坂から、瀬戸内海、関門海峡を経て日本海を航行する航路と紀州、遠州、房総、常陸、三陸海岸を経て太平洋を航行する航路とがありました。帆船ですから順風が吹かないと船は進みません。その風が吹くまで沿岸の港で碇泊して待ったのです。碇泊に適した良港は「風待ち港」として栄えました。風待ち港の街並みは歴史的な独特の雰囲気をもっています。たとえば、青森県の日本海沿岸の深浦町や三重県の志摩町などかつての風待ち港の街並みを観光資源として積極的に活用しています。
 風は、このように観光にとって無視できない存在なのです。

講師 西村 修一


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by bwukokusai | 2012-09-18 10:05 | 教員コラム

環境は人を作る

今週は国際文化・観光学科の4年生、王 銀石さんがコラムを寄稿してくださいました。
留学生としての努力や、苦労を乗り越え最終学年を迎えた充実感が伝わってきます。
ぜひお読みください。

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私は中国からきた留学生です。将来は、観光を通じて日本と中国の架け橋になることをめざし、大学で国際観光を専門として学んでいます。

日本の数々の大学の中で、私がこの大学を選んだ理由は、「観光に関することはもちろん、興味あるファッションも勉強でき、一石二鳥で勉強できるのでは」というものでした。

しかしながら、現実はそう甘くはありませんでした。入学早々、学生の輪に溶け込めるか不安が大きくなり、日々、自信のない状態に、どんどん気持ちが落ち込んでいったのです。周りは、共通の趣味、話題で盛り上がったり、部活動で交流が広がっていっているようでした。一方で、中国の田舎から来た私は、授業の内容を理解し、学生生活から感じた文化、風習の違いを理解するために、毎日、家に帰っては日本にいる姉夫婦を総動員して、復習をするのが日課になりました。日々是勉強の毎日です。理想と現実のギャップに、環境をかえたいと思うこともありました。

ところが、踏ん張り続けて数ヶ月すると、明かりが見えてきました。がんばって、理解しようと続けていた結果、家で復習する前に、授業の中で理解が進む度合いが増えてきたのです。そうすると、大学で、授業をうける心の余裕がでてきました。授業の内容や質問をクラスメイトと教えあったりするなかで、本当の親友もできました。日本はもちろん、各国からの留学生とも国を超えた文化の交流が大学内でも始まり、刺激にもなりました。重苦しい気持ちがいつしか、楽しい気持ちに変ってきたのです。

専門教育になるにしたがって、当大学は、少人数の中身の濃い授業になります。時には、先生と一対一のお見合い状態の授業もあり、先生も学生も気が抜けないです。実務を重視した授業は、実体験によって理解を深めてくれます。例えば、チーズとワインをたしなむ体験から、料飲実務とマナーを学ぶこともできれば、旅行業の実務を、実際の端末を使いながら学ぶこともできます。3年次のインターンシップの時には、その経験がうまくいかせました。私は、ホスピタリティに関連する資格(「秘書技能検定試験2級」)も、授業とは別に学び、取得することができました。その道のプロの先生に実社会でのご経験を踏まえた生の題材を扱って頂くこともでき、先生方には、親身に公私共に指導頂いています。

この大学で頑張って本当によかったと今は思います。あきらめずに、ものごとを前向きに考えることが、新たな道を開いてくれることを学びました。それを支えてくれたのが、家族であり、親友であり、先生であり、大学という環境だったと思います。「環境は人を作る」という言葉が頭に浮かんできました。まさに、その通りではないでしょうか。

国際文化学科(現 国際文化・観光学科) 国際観光コース 4年 王 銀石

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by bwukokusai | 2012-09-11 10:10 | 学生コラム

郷土の森

 毎年、夏には老いた母と兄夫婦が暮す、生まれ育った郷里に帰っています。
 郷里は岡山県で、吉備高原と中国山地に挟まれた盆地の縁の小丘陵の谷間の一番奥になります。谷間の奥の峠が隣の谷に続き、中国地方では峠のことを乢(たわ)ということから、戸坂乢と呼んでいます。南には海抜418mの古見山、東は戸坂乢、北は401mの鞍懸山があり、西側だけが盆地に向かって開けている狭い谷間で、わずかな田畑と山林で暮らしを立ててきました。春から秋は農業、冬は林業に従事するという生活パターンでした。私は高校生までそういう田舎で過ごしました。
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 純農村地帯であった故郷には、昭和40年頃までは農業に山林の恵みが欠かせなかったので、谷間の奥に古くからの地域共有の入会地が残されていました。そこで育った木材を使い、冬場は炭焼きが盛んでした。その為、山にはどんな小さな谷や尾根であっても道が作られ、夏には道作りの共同作業が地域の全戸に課せられた。子供達には、春の山菜、秋のキノコや栗等の収穫に欠かせない山道でした。
 その入会地の役割は農業の機械化によりその役目を終え、地域住民に細かく分割された。分割直後は植林などで山に入る人が居たが、その後は少なくなった。50年経った現在では、せっかくの植林が大きくなっても山道が通れない為に枝打ちなどの手入れができず、雪や風の被害を受け、山は荒れ放題になってしまった。
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 こうした山道を苦心惨澹して登った先は、人の営みが消し去られ、獣の世界が広がっていった。かつての貧しい農村では、たとえどんなに狭い山中であっても、耕作可能な平地があれば開墾して田畑を作っていた。現在では、機械化できない田畑は放棄され、植林されたりして原野や森に戻ってしまった。水が多い場所は、イノシシが泥浴を行う泥田場になっていたりします。この先、山林の維持・管理がどのようになっていくのか、不安を覚えています。
 帰京する前日、短時間に30㎜ほどの激しい雷雨が降りました。丁度、買い物の為に町中に出ていて、排水溝から水が激しく噴き出すのを見ました。市街地では、道路に雨水が溢れる程の激しい雷雨でしたが、帰宅して谷間を流れる小渓を見ると水量に全く変化がありません。大雨が降ると水量が増えて川の水が濁るのですが、この程度の雨量では何時もと変わらない澄んだ穏やかな流れでした。山を見ると、森から霧が立ち昇り、雲に水蒸気を供給しています。森が雨を受け止め、雨が霧に変わることでさらに多くの雨を降らせて森が育ち、保水と治水の役割を果たしていることが良く理解できる光景でした。
 森がこうした役割を果たし続けるためにも、郷土の森を守っていく必要が有ると実感した今回の帰省でした。

教授 瀬島 健二郎

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by bwukokusai | 2012-09-04 13:52 | 教員コラム