文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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ユニオン・ジャック

夏のロンドンオリンピック開催まであと約1ヶ月となった。ロンドンといえば英国だが、英国の正式名は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」(the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)という長い名前である。そして国旗はユニオン・ジャック(Union Jack)である。国名や国旗名にも「連合」を表すことばが入っていることや長い国名からも国内事情が単純なものではない事が容易に想像できる。今回はオリンピック開催中よく目にすることになるだろうユニオン・ジャックについて少し触れてみたい。

英国はゲルマン民族の1派であるアングロ・サクソン系部族の国家を元にして成立しているが、彼らより約1世紀前にケルト系民族がブリテン島ほぼ全域とアイルランドに先住していた。アングロ・サクソン人の英国征服後、ケルト人たちは現在のアイルランド、スコットランド、そしてウェールズなどの周辺地域に、そしてアングロ・サクソン人たちはブリテン島の中心地域のイングランドに住む事となった。それ以来、民族的・言語的にも異なる2つの民族が紆余曲折をへながら共存していくこととなった。現在の4地域 (イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド) は政治的にはひとつにまとめられてはいても、それぞれのアイデンティティを保ちながら多元的国家を形成している。それゆえ国名や国旗名に「連合」を表すことばが使われている。
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国旗のユニオン・ジャックはユニオン・フラッグ(Union Flag)とも呼ばれる。ユニオンは「連合」、そしてジャックは海事用語で「船の国籍を示す旗」を意味する。白地に赤い正十字のイングランドの旗と青字に白の斜めのクロスがはいったスコットランドの旗が最初に組み合わされ、その後、白地に赤の斜めのクロスがはいった北アイルランドの旗が加えられた。ここにユニオン「連合」をあらわすことばが使われる所以がある。これらの3つの旗は、それぞれのセント「聖人」にちなんだ名前が付けられている。イングランドの旗はセント・ジョージ旗、スコットランドの旗はセント・アンドリュー旗、北アイルランドの旗はセント・パトリック旗と呼ばれている。ウェールズは国旗制定までに既にイングランドに併合されていたため、ユニオン・ジャックには反映されていない。ちなみにウェールズの旗は上半分が白地、下半分が緑地の背景にドラゴンが書かれている。
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それぞれの地域は現代でも別々の国家意識を持っている。サッカー(英国ではフットボール)やラグビーなどには統一したナショナルチームがなく、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド(ラグビーに関しては北アイルランドの代表チームはないが、アイルランド共和国の代表チームがある)がそれぞれの代表チームを持っていることからもこの事が推測される。サッカーは過去11回オリンピックに統一したナショナルチームが出場しているものの中身はイングランド単独であった。今度のオリンピックでもサッカーは1つの統一ナショナルチームを編成して臨むという事だが、今年のチームの顔ぶれはユニオン・ジャックが表している様に4つの地域の連合になるのだろうか。気になるところである。 


                                                      教授 石田 名都子

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by bwukokusai | 2012-06-26 10:30 | 教員コラム

泰日工業大学学生との交流

今回も学生コラムです。前回の齊藤眞理子先生のブログ「日本語教員養成課程の学生による交流を中心とした教育実習」で取り上げた、教育実習に実際に参加した学生が寄稿してくれました。彼女は昨年からこの泰日工業大学短期日本語研修プログラムに参加し、留学生との交流を深めています。今回は昨年の留学生たちとの交流から今回の実習について、体験をつづってくれています。

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私は文化学園大学 現代文化学部 国際文化学科の4年生の中田早弥香です。日本語教員養成課程を履修しています。

昨年と今年、その課程の授業を通してタイからの留学生と交流しました。そしてそれをきっかけに昨年はタイに旅行までしてしまいました。 そのことを少し紹介できたらと思います。

初めて交流したのは昨年の2月に、タイから23名の留学生が短期日本語研修プログラムで来日したときでした。私は日本語教員養成課程の授業を取っていたため、少しお手伝いすることになりました。参加したのは、ひな祭りの折り紙と生け花の授業でした。その時には頑張って全員の名前を覚え、コミュニケーションをとりました。また、授業のあとには学生たちと国分寺駅にラーメンを食べに行ったり、ショッピングをしたりしました。その時からFacebookを通して彼らと連絡を取りあうようになりました。

Facebookとは友達になった人と写真を共有したり気軽にチャットができたりするインターネットサイトです。タイ語で書かれたものなども日本語に翻訳してくれる機能もあるのです。彼らは、東日本大震災の影響により早めに帰国することになってしまいました。でも、その後もFacebookの交流は続けていました。

昨年の夏にはタイに旅行することになり、タイの学生数人と会うことになりました。その時には、彼らはレストランに連れて行ってくれたり観光地を案内してくれたり、ショッピングにも連れて行ってくれました。
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普通に観光するだけではなかなか経験できないこともでき、とても感謝しています。その学生たちとは今も連絡を取り合っていますし、そのうちの一人の日本旅行の際には日本を案内することができました。

2回目の交流は今年の5月から6月まででした。今回はこの短期日本語研修プログラムの中で日本語教員養成課程の教育実習をすることになったので、より多くの授業に参加する事ができました。そこでも交流がたくさんできましたが、放課後に学生たちと、彼らが行きたかった場所に一緒に行ったことにより、さらに交流を深められたと感じています。案内した場所は立川・中野・原宿・渋谷です。女の子には立川や原宿・渋谷はとても刺激的で嬉しそうでした。洋服や靴、家族や友達へのお土産を大量に買っていました(@_@)!!男の子には中野をとても気に入ってもらいとても嬉しかったです。

今回の留学生はとても積極的でやさしくて、私も一緒に買い物をしていてとても楽しかったです。
タイ語を教えてもらったり、笑いあったり、いっしょにいると本当に楽しく、また彼らの帰国の際には泣いてしまうほど悲しかったです。

1ヶ月の短い期間でしたが実習の成功以上に大切な友達を作ることができたことをとても嬉しく思っています。またタイのみんなには必ず会いに行きたいと思っています。
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違う国の人たちとの交流では、文化の違いや価値観の違いに驚くこともあるかと思います。 けれどもその違いを笑って、または、楽しんで受け止めることで交流も倍楽しくなると思います!

ぜひ皆さんもたくさん交流を楽しんでください。


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by bwukokusai | 2012-06-19 10:22 | 学生コラム

日本語教員養成課程の学生による交流を中心とした教育実習

タイ・泰日工業大学の8名の学生さんが5月16日から6月13日まで約1か月本学留学生別科で短期研修を行いました。ブログがアップされる頃は皆、帰国準備に慌ただしいことでしょう。

今回来日した学生たちは日本語の勉強はタイで行っているので、研修では実践の場を提供してほしいというのが先方の意向であり、参加学生の希望も日本でのさまざまな体験・日本人との交流・日本文化理解であったので、今回の研修では、日本文化の紹介のほか、日本語を使ったさまざまな交流の機会を設け、午前中の授業は交流する際に役立つ日本語表現中心の内容としました。

昨年2月末に始まった前回の研修と異なり、学期中に行われたため、学部学生との交流は、日本語教員養成課程の学生を中心に15名、延べでは50名余りと充実したものとなりました。

現代文化学部に設置されている日本語教員養成課程では、4年次に日本語学校などで実習を行っています。今年度は、この短期語学研修を絶好の機会と捉え、午後の交流授業のいくつかを学生が担当する形としました。何をするかを学生から出してもらい、皆で検討した上で、実施しました。どの授業も大好評で、笑顔いっぱいの実習となりました。そのいくつかをご紹介します。

◆スポーツを通した交流:色鬼(いろおに)、だるまさんが転んだ、勝ち抜きバドミントンをして盛り上がりました。勝ち抜きバドミントンでは、タイの学生と学部学生とでペアを作り、チーム名を二人で考え、チームワークを築くことから始めました。

◆カルタを使った交流:アニメを素材にしたもので、カルタ自体も登場人物の名前になじむための人物相関図も力作でした。皆が札を取れるように読み札を入れ替えるなど参加者の反応にも配慮がされました。

◆すごろくを使った交流:日本文化についてのクイズや納豆や梅干を食べるチャレンジコーナーが設けられていて、ドキドキ感いっぱいのものとなりました。盛り上がりすぎて、近くの研究室には少し迷惑だったかもしれません。


料理を通した交流:家庭料理の作り方を絵や模型で説明した後、皆でおにぎりを作りました。最後にそれぞれ感想を言ってもらい、片付けも協力して行い、和気藹々とした雰囲気の中で楽しく終了しました。

タイの学生からの発信という活動も意識して取り入れました。受身で参加するより、自分で行うほうが大変ではありますが、学びは大きいものです。①タイ紹介、②日本体験、について各自パワーポイントを使いながら発表してもらい、発表の場面になるべく多くの学部学生に聞き手・質問者として参加してもらうようにしました。また、けやき祭を活用し、タイの学生にも参加してもらうようにしました。それぞれの活動に学部学生の大きな協力がありました。

日本語教員養成課程の学生たちは責任を持って授業を担当することで、細部にいたるまで授業を予測し、準備することの大切さを知ることができました。また、教案に縛られることなく、学生の様子を見てその場で臨機応変に対応することにも気づいていました。何より素晴らしかったのは手作り感のある教材で、楽しく授業を進められたことだと思います。

他の学部学生もタイやタイ人について理解を深めることができました。行ってみたい気持ちになったという声が聞かれました。

校内見学の日に初めて会った時には、小さな声で自己紹介をしていたタイの学生さんたちは、今ではニックネームで呼びかけながら学部学生と交流しています。

現代の学生はフェイスブックやツイッターを利用している人が多いです。一人ひとりが楽しい思い出をたくさん持ち帰り、これからも友好の絆を深めていってほしいと願っています。

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by bwukokusai | 2012-06-12 17:19 | 教員コラム

“大人”と“こども” その違いは?

 新しい学年度が始まって早二ヶ月。見る側が少し慣れて来たせいか、4月の当初には“こどもがどっと入って来た”と感じられた新入生たちも、ゴールデンウィークが過ぎた辺りから、目に馴染んで来るようになる。小学校、中学校、高校そして大学を問わず、その最高学年の者から見れば、皆一様にそう感じるようであり、これは今も昔も変わらないようだ。この場合、相手が“こども”に見えると言うことは、見る側からすればそこに何かの違いを感じ取るからであるが、程度の差こそあれ、どうやら自分を大人の側に、あるいはより大人に近い側に置いて見ているからであろう。
 さて、ここからが問題である。では、我々は一体いつ本物の“大人”になるのであろうか。これはつまり大人とこどもの違いは何かと言うことであり、そこにどのような区別の基準らしきものがあるのか、と言う問いである。
 案1:「こどもと大人との間に本質的な違いなどはなく、小さな(身長・体重・年齢)大人のことを“こども”と言い、そして大きなこどものことを“大人”と言う。」
 もし大雑把な身体的と言う基準からすれば、単純にそのように言えるかもしれないし、例えば薬の服用法などがそうであるし、さらに人権を安っぽく振りかざせば、“大人もこどもも皆平等だ”とも言えるであろう。しかしこの答案では、やはり十分な納得は得られないであろう。
 案2:「酒やタバコを嗜むことが許され、さらに選挙権を持つことができるのが大人である。」
 別に二十歳になったら突然大人に成れるわけでもあるまい。我が国の現行法律で二十歳を基準としているのは、ある種の政治的な都合からであり、経済的に自立していない者が酒を喰らって煙草をふかしている姿は、第一に生意気であり、目障りだと言う感情が先に立つからのようであるし、二十歳にもなれば一応は最低限の分別や社会的な常識・良識、責任感を持っているはずだ(べきだ)から、政治的な判断が問われる選挙権を与えても良いのではないかと見なされるからである。だからこそ、近年の成人式での目を覆うばかりの乱行に対して、大きな非難が巻き起こるのである。そうすると、この“二十歳を基準とする”は、あくまでも見込みや強い期待を背景に設けられたものであり、とりわけ二十歳と言う年齢に確固とした保証があるのではなさそうだ。
 案3、案4、・・・・・・。様々な答案が考えられよう。

 大人とは何か。人々にとってこの問いは、大人と言う言葉が当たり前すぎるほどに日常に深く関わっているものの、そうであるからこそ却って深く考えることが少ないものである。この世に生まれでたこどもは、自分も他人もやがては成長して大人に成って行くと言われている。しかし、それは何も考えなくても自然に本物の大人に成って行けると言い切れるほど安易でなことではないであろう。
 大人に成ると言うことはどういうことなのか。そして本物の大人であると言うことはどういうことなのか。二十歳を目前にしていても、あるいは少し過ぎてでも、またとっくの昔に経ていたとしても、特に世の中や世界が大きく揺らいでいると言われている昨今では、老いも若きもいま一度、虚心に戻ってこれらの“大人の問題”をより深く考えてみることが必要なのではないだろうか。大人の姿を見ながらこどもは成長すると言われるが、その肝心な大人が偽物あるいは“大人モドキ”でしかないとすれば、・・・・・誠に恐ろしい。

  「十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き ・・・・・」
 あの「赤とんぼ」の歌詞にある“姐や”は、“幼い私”の目からも、もう十分な大人であったようです。この時代の“大人”とは、どういうものとして捉えられていたか。想像を逞しくしてしてみれば、きっと面白いと思います。

                                                           
                                                                                       准教授 窪田 忍

 
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by bwukokusai | 2012-06-05 10:30 | 教員コラム