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文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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目指すは、現実的ロマンティスト 

 冬のある朝、駅までの道を急いでいた。頭の中は、すでにほとんど仕事モード、「あの学生に、今こそ努力すべき理由を伝えておかなければ・・・あのメールは、BCC. (注1)で出した方がいいだろうか?・・・ “Big Issue” (注2)を買うには、乗り継ぎの時に、いったん外に出る他ない・・・。」
 小さな計画が、次々と頭に思い浮かんでいた。と、その時、私とすれ違いかけた老婦人が足を止めて、少し大きな声をあげた。「あ、富士山!(彼女が指差す方角へと振り返った私にむかって)ほらねっ!」たしかに、建物と建物の間に鮮やかに見えていたのは、白い峰で、・・・今日の空は、こんなにも青かったのか・・・!
 「ああ、きれいですね!ありがとうございます。いいものに気づかせて頂いて・・・」と言った私の言葉はあまり気にする風もなく、歩行用カートのようなものを押しながらも、老婦人はさっそうと行ってしまった。それは、駅に本当に近い所での出来事で、そこから駅に向かうまでに十数人ぐらいの人とすれ違ったのだが、私はこの小さな幸せのお福分けをしたいと願いながら、結局出来なかった。もの言いたげな表情の私と目があった人達には、もの問いたげな不思議な表情をさせてしまった。
 電車に乗り込んだ私は、長年本学で教鞭をとられてきた佐々木 貴顕先生のことを思い出していた。なぜかといえば、昔先生が前述の駅付近にお住まいで、周辺の数十年前の様子を私に話して下さったことがあるからだ。「富士見橋からは、本当にきれいに富士山が見えました。」今は、上り下りの車がすれ違いにしのぎをけずっている不動坂(たいへん急な坂で、脇には小さな滝もある地形)で、「雪がたくさん降った日には、スキーをしましてね。あの頃は、車も少なかったから・・・。」「徹夜で試験勉強をしたり、仲間で飲んだりした後、明け方に成城パンからすごくいいにおいがして、戸をトントンとたたいて、パンを分けてもらいました。」というような、先生が微笑しながら語って下さったお話は、いつの間にか私にとっても心の宝物のようになっている。世の中のあわただしさに突き動かされて私も急ぎ足でお話に登場した橋やパン屋さんのあたりを歩いている時に、ふと思い出して心が和らいでくるのだ。
 佐々木先生の独特なテンポは、楽しくなるほど浮世離れしている時があった。残業をしていた夜、人気の無い廊下でゴミ箱の中をじっと見守っている先生の姿を私がけげんそうに見とがめると、「いや、あのね、僕はさっき煙草の吸殻をここに捨てて、それがその後どうなるか気になっているのです。」と照れ笑いをしていらした。もちろん、キャンパス屋内が禁煙になる前のお話だ。
 佐々木先生については、「すてきな先生ですね、ロマンティストで・・・。」といったことを、学生にもよく言われたし、他大学で教えている我が先輩にも、「すてきな方よね。おだやかな学者さんで・・・。どうしていらっしゃる?」と、消息を聞かれた。現代の先進国に、おだやかで素敵なロマンティストなんて、どのくらいの数で存在してくれているのだろう?経済性や利便性ばかりが追求され、世の中はあまりにもせかせかと現実的になってしまった。文学の世界でも、アメリカ作家のトルーマン・カポーティがノンフィクション・ノベルなるものを世に生み出した1965年には大いにセンセーショナルと評価されたものの、こうもルポルタージュ文学的なものが溢れた現在では、南米出身ノーベル賞作家のガルシア・マルケスでも読んで、現実世界が部分的にとろりと溶け出て、壮大で美しくもどこかユーモラスな伝説の世界につながっている・・・というような気分を味わいたくなる。芸術の場合、リアリズムに傾き過ぎた後には、必ずロマンティシズムの波が押し寄せるものだ。
 さてさて、現代の教師は、ロマンティストである一方で、リアリストでなければならない。たとえば、理想を捨て去った教育者など、お目にかかりたくもないし、かといって、私達の教育は、現実世界での学生の就職その他を充分に念頭に置いたものでなければならないからだ。
 せかせかと歩いていた私に、足をとめて富士山を見るように促してくれたおばあ様を忘れないようにしたい。そして、あまりに現実的な教師になってしまっている時には、佐々木先生のことを思い出して、及ばずながら、先生のようにゆっくりと見守る教師らしさを引き継いでいきたい、と切に願う。
 富士山の美しさを教えてくれた前述のような人達に、私もなりたい。そして、私自身が先人に教わった大切なことは全て、学生達に手渡していきたい、と望む今日この頃である。

注1: Bはブラインドの略。複数の宛先に送信する際、受信者同士のアドレス情報を伏せておくのがマナーである場合も多い。
注2: ホームレスの自立支援のために出版されている雑誌。ホームレスの人達自身が販売し、その価格の半分が彼らの収入となる。
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                                                        教授 久保田 文
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by bwukokusai | 2012-02-28 12:00 | 教員コラム

水晶宮(The Crystal Palace)

イギリスのエリザベス女王が今年即位60年を迎えられ、夏にはロンドンでオリンピックが開催される。今年はロンドンに世界の注目が集まりそうだ。

ロンドンと言えば、最初の国際博覧会(通称、万国博覧会)が開催された場所でもある。この最初の博覧会は、1851年5月1日から10月15日までロンドンのハイドパークで催され、「大博覧会(The Great Exhibition)」とも呼ばれた。この博覧会の会場となったのが水晶宮(The Crystal Palace)と呼ばれる建物である。今回はこの水晶宮について少し触れてみたい。

それまでのヨーロッパ建築はすべて石やレンガ作りであったのだが、この水晶宮はガラスと鉄のみを使った巨大な温室構造の建築物であった。この建物は数々の温室を手がけたパクストン(J. Paxton)により設計され、プレハブ工法の先駆とも言われている。幅約560メートル、奥行き約120メートル、高さが約30メートルもあるこの光り輝く博覧会会場はその外観から水晶宮と呼ばれるようになった。建物そのものが博覧会の最大の目玉展示物であり象徴でもあった。1845年にガラス税が廃止されるまでガラスは贅沢品であり鉄も大量生産できないものだった。しかしヴィクトリア女王の時代(1837-1901)に入ってから産業技術の発展がめざましくガラスと鉄の大量生産が可能となり、それまでの時代と比較するともっとも繁栄した時代となった。博覧会はこの時代の繁栄を象徴するイベントであったし、水晶宮は当時の先端技術の粋を集めた建築物であった。

この博覧会を推進したのは、ヴィクトリア女王の夫であるアルバート公であった。アルバート公は国民の生活に配慮し税金ではなく寄付によって開催を実現させようとした。また諸外国を訪問し博覧会への参加を積極的に促した。その結果この博覧会は大成功を収めることとなり、当時のイギリスの国威を世界に誇示する絶好の機会となった。

博覧会終了後人々の要望により水晶宮は取り壊されることなく1854年にロンドン郊外のシデナムに移築された。移築後その規模を拡大し、植物園、博物館、コンサートホールなどを持つさらに巨大な施設として生まれ変わった。しかし残念なことに1936年の火災により焼け落ちてしまい跡地は公園となっている。1862年には日本の文久使節団の一員として福沢諭吉もここを訪れたと言われている。 

参考文献
松村昌家 『水晶宮物語』筑摩書房、2000年
吉田光邦 『万国博覧会:技術文明史的に』改訂版 日本放送出版協会、1985年

                                               教授 石田 名都子

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by bwukokusai | 2012-02-21 14:53 | 教員コラム

平成23年度卒業論文発表会

2月8日(水)午後 国際文化学科の卒業論文発表会が行われました。
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4年生のうち、特に優秀な論文を執筆した欧米・中国・日本文化コース(現 国際文化コース)の3名と観光文化コース(現 国際観光コース)の3名、計6名が選ばれ、それぞれの卒業論文について発表を行ないました。

発表者、卒論題目は、以下のとおりです。

欧米・中国・日本文化コース
○佐賀 友美 「新宿区・大久保地域における多文化共生の実態と今後の展望」
○山浦 みなみ 「交通広告に関する一考察―新たな可能性を探る―」
○孟 開麗 「日本語の男性言葉女性言葉~人称詞『お前』ということばを中心に~」

観光文化コース
○牧野 友加里 「高等学校における海外修学旅行の現状と課題」
○金 秀智 「仁川国際空港の乗継旅客の利便性向上に関する一考察」
○音澤 朱香 「ハワイにおける観光化とフラの変容」
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どれも1年間をかけて取り組んだ内容の濃い発表で、発表後も活発な質疑応答が繰り広げられました。

なお、卒業論文発表会に先立って午前中には、大学院国際文化研究科の修士論文発表会も行われ、国際文化専攻では

○黄 君姍 「日本語教材としての『アニメ・マンガ』の可能性と限界―台湾人学生を中心として―」

が発表されました。

それぞれの4年間、2年間の集大成を披露する充実した1日となりました。
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by bwukokusai | 2012-02-14 19:03 | ニュース&トピックス

外を見る 外から見る

 映画『ALWAYS 三丁目の夕日’64 』が公開されています。これが3作目の人気シリーズで、それだけに、テレビや雑誌、インターネットなどで、公開前から「古き良き昭和」「あのころの人々の良さ」などのことばを使いながら多くのレビューがされていました。

 今「昭和ブーム」だと言われます。昔から「衣食住」の「衣」であるファッションについては、流行は何十年に一回繰り返すものだと言われ、映画が舞台とする1960年代のファッションがリバイバルしていたことがありましたが、最近は保存食づくりから昭和の雰囲気の雑貨やインテリア、「昭和のマナー」など、「食住」の部分や生活スタイルも流行していて、それを自分の生活に取り入れようとする人たちも多いです。そのようなムードがあるからこそ、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズが好まれているのでしょう。

 ものごとはなぜ好まれたり興味を持たれたりするのでしょうか。
 いろいろな要因がありますが、その一つに「自分にはないものだから」というのがあります。今の自分の日常とまったく同じものを、人はおもしろいと思いません。自分と違う部分を見出して喜ぶのです。
 つまり、「昭和」が「自分の時代」でないという人が増えているからこそ、自分の中にはない「昭和らしさ」を見直し、良さを再発見するという流れが来ている…と。昭和時代人としては複雑な気分です。

 「自分にはないもの」を喜ぶといえば、外国や外国文化をテーマとするテレビ番組も昔から多いですね。
 私が「昭和」のころ見ていたそのようなテーマの番組は、教養番組もバラエティも、みな「未知の外国を紹介する」という視点で作られ、私たちは「外国ってこうなの!」という受け取りかたで楽しんでいました。ストレートに、外国の文化を「自分にはないもの」として楽しんでいたわけです。

 その後、「日本を外国から見るとこう見える」という視点から作られる番組が人気を博しました。『ここが変だよ日本人』というバラエティ番組がありましたっけ。外国人目線という「自分にはない」角度から自分自身を見直し、これまでとは違う自分の見え方を知って「私たちってこうなの!」とその違いに驚き、おもしろがっていた(…というより反省していた?)のですね。

 今もその流れがありますが、その他に、日本のある地域独特の文化や風習をおもしろがる番組が出てきたり、“ガイコクジン”一般が日本について意見をするのでなく、いろいろな国の人がその国の視点から日本について語る番組が出てきたりしています。これらの番組には、「“ガイコク”といってもひとくくりに出来ない」という意識、また「日本といってもひとくくりに出来ない」という意識があるように思います。一昔前の“ガイコクジン”一般vs.日本という構図より、複雑でより自由な感じがします。

 では、この次は?
 私は多様な「外からの視点」がよって立つ立場そのものをもっと知り、それらから自分がどのように見えるのか、なぜそう見えるのか、「良くも悪くも」であるその多様性をおもしろがりつつ考える番組が出てきたらぜひ見たいと思っています。

 そうなると、日本の姿は、さまざまな色の光源から来る光を多面体で反射するミラーボールのようなイメージになります。日本って何色ですね、って簡単には言えなくなりそうですね。
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                                                       准教授 星 圭子

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by bwukokusai | 2012-02-14 09:00 | 教員コラム

春を待つ

 2月3日は節分、4日は立春でした。皆さんはいかが過ごされたでしょうか。
 私は例年、節分には窓やドアを開けて、豆をまきます。マンション住まいなので、大きな声は出しませんが、一応「鬼は外、福は内」と言いながらです。年の数だけ豆を食べることは随分前にやめてしまいましたが、豆も少しいただきます。皆さんもこのようなことをしていらっしゃるでしょうか。
鬼を追い払う目的で鰯の頭をヒイラギに刺したものを玄関近くに飾るという風習はご存じでしょうか。婚家でヒイラギに鰯の頭を突き刺したものが外玄関そばの柱に打ち付けられているのを初めて見たときには、本当にこういう風習が実践されているのだと驚き、さすが小江戸川越だと感心した覚えがあります。近頃スーパーにヒイラギが置かれていますので、案外この風習も広範囲に行われているのかもしれませんね。
 立春には「立春大吉」と書いた札を貼るという習慣もあるということです。和紙に墨で左右対称になるように文字を書いて玄関に貼っておくと魔よけの効果があるそうです。

 立春は二十四節気の第一です。旧暦を使用していたころ、暦の日付と実際の季節がずれてくるため、二十四節気を季節の目安としました。二十四節気では、冬至・春分・夏至・秋分の中間点をそれぞれ立春・立夏・立秋・立冬と定め、季節の始めとしたのです。節分も元来それぞれの季節の前の日を指す言葉でしたが、春を待つ気持ちが立春の前の節分を特別のものとし、新しい春を改まった気持ちで迎えたいという思いから節分に鬼を祓う行事をするようになったのでしょう。節分の夜にとろろ汁を食する地域もあるそうですが、これも鬼を祓う意味合いがあるということです。

 春に対する思いは国によって様々です。以前、世界青年の船にアドバイザーの一人として同行したことがあります。110名の日本人青年と12か国からの青年140名が乗船していました。船上活動の中に、それぞれの国を紹介するNational Presentation Dayがあり、スウェーデンの青年たちは聖ルチア祭の再現をしました。会場を暗くして、その中をろうそくの冠をかぶった女性を先頭に白い服の青年たちが歩いてきます。光の祭りということでしたが、その厳粛な行列から光を待つ祈りが伝わってきました。以前は冬至に行われていた祭りだそうです。夏の白夜と異なり、午後3時ごろには暗くなってしまうような長く暗いスウェーデンの冬の日々。光を待つ気持ちはひとしおなのでしょう。余談ですが、セイシェル、ケニヤ、ヨルダン、オマーンなど暑い地域を航行していたのですが、他国の青年たちが甲板では日影を探していたのに対し、スウェーデン青年が強い日差しの中で白い肢体をさらしていたのが印象に残っています。
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 4月ごろに行われるイースター(復活祭)はキリスト教のイベントですが、これももともとは春の訪れを祝う祭りだったということです。色のついたイースターエッグやイースターバニー(うさぎ)は再生と多産の象徴です。冬が終わり、草木が再び芽吹く喜びを表しているとされています。
それでは、常春や常夏の国ではどうなのでしょうか。春ではないのかもしれませんが、それぞれの文化に人々が待ちわびる時期があることだろうと思います。調べてみたいですね。

 さて、ここ何年か私にとっては蕗の薹(ふきのとう)が春の使者です。キャンパスから国分寺駅へと歩く道筋に蕗の薹がたくさん芽吹くお庭があるのです。もうそろそろかなと思って覗き込み、可愛い丸いものを見つけることができるととても幸せな気持ちになります。

 小平に幸来る兆し蕗の薹  眞理子

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日本海側では記録的な豪雪に見舞われているとニュースが流れています。ことさらに暖かい春の到来が待たれます。                           

                                                  教授 齊藤 眞理子
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by bwukokusai | 2012-02-07 18:34 | ニュース&トピックス