文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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北魏仏

 1970年代の終盤から80年代の一時期に、地の利を生かして中国の華北の仏教遺跡を訪ねる旅をしたことがあった。当時は中国内を旅行するということは、それはそれで大変なことであった。何しろほとんどの街や都市が外国人に対して閉ざされており、勝手に行く事はできなかった。そればかりか、他の都市、例えば北京から上海、南京、広州等の大都市へ出かけようとする場合にも、この公安局の許可証が必要だった。つまり、外国人にとっては、自分が居住している都市から数十キロ離れる場合にも、事前に公安局から発行される旅行許可証を取得せねばならなかった。

 まず最初に、留学先の大学の留学生事務室に行って紹介状を作ってもらい、それを持って北京市の公安局外事処に行く。そこで外国人旅行許可証を発行してもらうのである。行き先、往復の経路、利用する交通機関、宿泊場所、期間等々の細かい事項を書かされ、申請を行う。勿論その場で発給してくれる事はない。数日後にまた自分で受取りに行くのである。この許可証と身分証明書(パスポートあるいは外国人居留証)は必携であり、これが無ければ汽車の切符さえ買えないし、宿に泊まる事さえできないのである。所持していないと、“犯罪”=スパイ罪となる。

 そのような面倒を経て、ようやく旅に出るのであるが、勿論、道中はそれこそ汗と埃にまみれることになる。道中でも様々な面倒ごとに出くわすのは当然のことで、そこは臨機応変な対処能力が問われることになる。そんなこんなを書き始めたらきりがなくなるのでここでは割愛するが、気力と体力と知力がものを言うものであった。

 さて、街中の古刹や旧跡ほど味わいが無いものは経験で段々と判って来るようになると、郊外の鄙びたところに「あるらしい」と言われている場所に足を運ぶようになる。半日かけてやっとたどり着いたところで対面できた石仏には、勿論、五体満足なものは非常に稀である。それがたとえ2、30センチに過ぎない小さな石仏であっても、野晒のまま数百年のそして千数百年の風雪に耐えてきた凄みを感じ取ることができる。

 古代の街の位置から見ても、郊外の辺鄙な場所に作られた一群の小さな石窟。そこにおわします小さな仏たち。そこには華麗さ雄大さの欠片も無いが、華美から遠く離れたその純朴さに、強い感銘を受ける。この質朴な石仏を作った人は、どのような思いを胸に鎚と鑿を振るったのであろうか。修行の僧か、それとも在家の信者か。それがあまりにも純朴であり質朴であるが故に、そこに込められた心の強さ、ひたむきさが伝わって来るようである。それは芸術や美術の評価を超えた、そういうことにはまるで頓着しない、生きることを求める、そして救いを求める真摯な思いが込められているようである。往時は花が手向けられていたであろうし、香やささやかな供物も捧げられていたことであろう。何を願ったのであろうか。その願いは叶ったのであろうか。

 様々な場所で、それぞれ時代の異なる石仏を見て来たし、それを通じて一見してその仏像はおおよ
そいつの時代の頃のものかが判るようにもなって来た。それらの中で、私が最も強く引かれるのは、北魏時代(4世紀末〜6世紀中葉頃)のものである。余りにも飾り気から遠く隔たっているところと、仏に対する媚からも縁遠い姿であるからだ。

 今でも時折それらの北魏仏のたたずまいを思い出すことがあるが、その度に、その仏像に込めたであろう人々の偽りの無い思いや願いの真摯さを考えさせられる。彼らは決して仏像を拝していたのではないのだ。その背後に無限に広がる宇宙と語り合っていたのではないかと。
                                                      准教授 窪田 忍

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by bwukokusai | 2012-01-31 12:49 | 教員コラム

「ネット」の力 ― 仙台市教育課題研究発表会に参加して

 年末の27日、仙台で行われた「仙台市教育課題研究発表会」(仙台市教育委員会主催)に参加してきました。「入退会自由なPTAを求めて」と題した研究発表を聞くためです。
 当日は乗車する予定の新幹線が雪のために運休になるなどありましたが、無事、仙台に着くことができました。

 事前に入手できた資料には「発表者:寺岡小保護者」としか書いてなくて、なんとなくお母さんたちのグループが発表するのかなと勝手に思っていましたら、発表者はひとりのお父さん(桝谷哲氏)でした。
 その発表は、ご自身のお子さん(現在小学一年生)が小学校に入学した時の体験を踏まえ、「当然与えられるべき選択の機会が与えられていない」という現在のPTAの問題点とその解決への道筋がわかりやすくまとめられたものでした。
 日本のPTAに認められる「参加強要」の問題が教育委員会主催の研究発表会で取り上げられたことは画期的なことです。
 ところが、ひとつ残念だったのは参加者がとても少なかったことです。そのひとつ前の発表は小中学校の先生8人による「社会教育主事の役割」をめぐっての共同発表で立ち見が出るほどの盛況だったのですが、10分の休憩をはさみ「入退会自由なPTAを求めて」の発表になると、ほとんど人がいなくなってしまったのです。

 でも、当日の発表の様子は、参加者のひとりが撮影した動画がYou Tubeに公開され、すでに大勢の人が視聴しています。発表者自身もネット上に発表内容を公開されています(http://utterson66.pod3.net/presen/)。ブログやツイッターなどでその時の様子や自身の感想を語っている参加者もいます(私も「まるおの雑記帳」という個人ブログで触れています)。また、朝日新聞の記者さんが取材に来ていて、年明けの15日、「『入退会は自由』周知の動き」と題する大きな記事の中で取り上げられました。
http://digital.asahi.com/articles/TKY201201140378.html?id1=2&id2=cabcabbf

 近年、数多くの人がブログやツイッター等でPTAの参加強要の問題に対して声をあげるようになりました。「ネットの力」って大きいなと感じてはいましたが、そのことを今回、あらためて強く感じた次第です。
 もしもネットがなかったら、仙台の勇気あるお父さんによる発表はその会場にいたわずか数人の参加者の胸に届くだけで埋もれてしまっていたかもしれません。もしもネットがなかったら、そもそも私もその発表の存在を知ることはできませんでした。朝日新聞の記者さんも、たぶんネットでその発表の存在を知ったのではないかと思います。
 「インターネットによる民主化」は、なにも世界の遠いところでだけ起こっているわけではないのかもしれません。

 なお、朝日新聞の記事には私のコメントも紹介されました。何かの折に見ていただければと思います。

                                                   准教授 加藤 薫

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by bwukokusai | 2012-01-24 11:06 | 教員コラム

Living in a More Urban and “Older” World

Tokyo’s population continues to grow. Tokyo’s population in 1970 was almost 11.5 million, in 2000 a little more than 12 million, and in 2010 more than 13 million.

The percent of older people in Tokyo also continues to increase. The percent of people age 65 or older in Tokyo in 1990 was some 10 percent, in 2000 some 15 percent, and in 2010 some 20 percent.

Urbanization and aging are two important developments in modern society. Now for the first time in history a majority of the world’s population lives in urban areas. In 2000, about 10 percent of the world’s population was age 60 or older. By 2050, researchers estimate more than 20 percent of the world’s population will be 60 or older. How will increasing urbanization and life span impact on your experience in the future? How will they affect you as an individual, member of a family, worker, or citizen?

                                             教授 チェスター・プロシャン
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by bwukokusai | 2012-01-17 11:29 | 教員コラム

政治指導者とは

昨年の12月に、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記が亡くなり、三男の金正恩(キムジョンウン)氏が後継者の地位に就きましたね。それより1年ほど前に、チュニジア、エジプト、リビアなどのアラブの国々で、大規模な反政府活動が起きた結果、長年続いた独裁政権が次々と倒れ、現在これらの地域では政権交代への動きが前例の無い速度で進んでいます。今年は、台湾(1月)、ロシア(3月)、フランス(4月)、アメリカ(11月)、韓国(12月)で大統領選挙(台湾は総統選挙)が行われ、中国においても秋に開催される共産党大会で党の指導部が一新されるとの見通しが報道されています。ですから、2012年は世界の政治指導者の顔ぶれが大きく変わる年になるかもしれません。

皆さんは、政治指導者に何を求めますか? 「誰がなっても同じ」「何も期待しない」なんて言わないでください。人々が政治に対して投げやりになると、必ずと言っていいほど政治の質は劣化します。また、極端に困難な状況に陥ると、私たちは目の前の問題をすぐ解決してくれそうな「強い」指導者を求めがちですが、これも警戒しなければならないでしょう。ヒトラーが登場した状況を思い出してください。第一次大戦に破れ、一方的な戦争責任と法外な賠償金の支払いを要求されたドイツは、続いて起こった「大恐慌」と呼ばれた世界的な大不況の中で、その影響を最もストレートに受けました。国の存続すら危ぶまれる状況下で、ドイツ国民が選んだ指導者が対外侵略をてこにして自国の再興を図ろうとするヒトラーであったわけです。

では、私たちはどのような政治指導者を選ぶべきなのでしょう? これは古今東西を問わず、私たちが問い続けてきた永遠のテーマかもしれません。その証拠に、政治学者の数だけ政治指導者論が存在すると言っても過言ではありません。代表的な例をひとつ挙げます。第一次大戦後のドイツ社会の混迷を直視した政治学者(あるいは社会学者)の一人であるマックス=ウェーバー(1864―1920)は、ある講演において、政治指導者が備えるべき資質として「情熱、責任感、判断力」を挙げました。大学者の言葉にしては平凡な言回しに聞こえますか? この3条件は政治学関連の研究書では「定番」に位置づけられるくらい有名なものですが、私が注目したいのは、ウェーバーがこのとき誰に向かって話していたかです。

1919年1月、ウェーバーはミュンヘンの大学生の依頼にこたえる形で、「職業としての政治」*という題で講演を行いました。当時の若者は先の見えない不安を抱え、現実より理想を語りがちだったそうです。講演者を選ぶ際にも、現実を分析する「学者」よりドイツ社会の行く先を明示してくれる「指導者」を求めていたと言われています。一種の「現実逃避」状態にあった学生を前に、ウェーバーは「すべての政治は暴力のうえに成り立つ」と政治の最もあからさまな部分から話し始めました。一言お断りしておきますと、彼が「暴力」と呼んでいるものは、より一般的には強制力あるいは強制力を持つ組織(たとえば、軍隊や警察組織)のことであって、これを排他的に掌握しているのが権力者(近代国家においては政治機構)ということになります。ウェーバーは、政治家は自身が暴力(装置)を伴う政治権力を持っていることを自覚し、それに押しつぶされないような強靭な「倫理観」を備えた者でなければならないとし、特に求められる資質として先の3条件を挙げたのです。強い強制力を行使できる立場にいるからこそ半端ではない「責任感」が求められます。また、非常事態に陥ったとしてもそれに飲み込まれれることなく事態をありのままに「判断」し、打開策が容易に定まらなくても解決への「情熱」を抱き続けることができる、とそんな人物が政治指導者にふさわしいと述べたわけです。

「ウェーバーの御眼鏡に適う人などいるわけもない」と結論を出すのは簡単ですが、私にはこれは若者に向けた彼の強いメッセージだったように思います。「まず、自身が困難な現実から目をそらすことなく確かな『判断力』を養って欲しい。その上で、『責任感』をもって政治指導者を選び、彼らを『情熱』的に育てていって欲しい」と。選ばれる政治指導者だけでなく選ぶ側にとっても、この3条件が大切になるのではないでしょうか。

*この講演の内容は、後年2冊の著書として出版されました。日本語訳は、脇圭平訳『職業としての政治』と尾高邦雄訳『職業としての学問』で、どちらも岩波文庫です。このエッセイでとりあげたのは前者の方です。
  
                                               教授 中沢 志保

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by bwukokusai | 2012-01-10 09:10 | 教員コラム

環境アセスメントと歌川国芳

 新年あけましておめでとうございます。皆さまとともに、今年こそよいことの多い年でありますようにとお祈りしたいと思います。

 それにしてもあわただしい年の暮れでした。とくに普天間基地移転問題を巡って、防衛省が御用納めの12月28日朝4時に環境影響評価書を沖縄県庁へ運び込んだというニュースには、その姑息さにあきれました。しかしこの出来事の副産物として、環境影響評価法の存在が多くの国民に知られることになったのではないかと思います。
 1997年に成立したこの法律は、大規模公共工事など環境に大きな影響を及ぼすおそれのある事業について、その事業を実施する事業者自らが環境への影響を予測評価し、その結果に基づいて事業を回避、または内容をより環境に配慮したものとしていく手続き(環境アセスメント)を定めています。実務的には「方法書」「準備書」「評価書」の三段階の書類提出を経て各自治体の環境影響評価審査会により審査が行われますので、普天間基地の辺野古移転に関しては07年8月の「方法書」提出から4年を経ていよいよ最終段階の「評価書」提出に至ったのです。今後の動きから目を離すべきではないでしょう。

 一方、この普天間問題とほぼ時を同じくして震災復興・原発事故対策を主な内容とする2011年度第4次補正予算案、12年度予算案が決定されました。その際、驚いたことに長らく凍結されていた東京外環道をはじめ整備新幹線、八ッ場ダムなどの大型公共工事の軒並み再開が決定されました。私が委員を務める神奈川県環境影響評価審査会でも中央新幹線(東京~名古屋市間、いわゆるリニア新幹線)建設についての「方法書」が12月に知事から諮問されました。私はあらかじめ建設予定地域とされる神奈川県北部地域を現地調査しましたが、この地域にはいかに豊かな自然が残されているかを実感し、そこになぜ中央新幹線を建設しなければならないのか、大きな疑問を持っていました。この計画について、JR東海から建設前提の「方法書」の急な提出があったのです。
 こうした動きを見ていると、「コンクリートから人へ」という民主党の政権公約は事実上放棄され、震災復興に便乗した財政資金大盤振る舞いが行われているように感じます。国交省官僚たちは前田武志国交相(旧建設省出身)の承認の下、「いまは震災という有事。現時点でやりたいことを全部出していると鼻息は荒い」(朝日新聞12月25日)そうです。

 そんな暮れのあるいち日、六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリーで開催中の歌川国芳展に行ってきました。歌川国芳(1797~1861)は日本橋本銀町に生まれた生粋の江戸っ子絵師で、そのダイナミックな構図で「奇才」として知られていますが、市井の人たちの生活、好みを丁寧に写し取っていく画風には定評があります。私の専門領域である文化コミュニケーション(文化はどのように伝達されるか)でもメディア(伝達手段)の果たす役割は大きなものです。国芳の眼に江戸文化はどのようにうつったのか、彼はどのようにそれを伝達しようとしたのか、当時の重要メディア=錦絵で確認してきました。
 420点にも及ぶ作品群は武者絵、役者絵、風景など8つのジャンルに分けられ、彼の才能を開花せしめた大判3枚続きの武者絵シリーズの大胆さ、役者絵・美人画などに見られる粋な着物の柄行き、化粧・髪型の流行描写の細やかさなど、彼の画想の自由さ、豊かさを十分に堪能することができました。
 しかし国芳の真骨頂はなんといっても戯画にあります。1842年の老中・水野忠邦による天保の改革で、役者絵、遊女・芸者風俗の絵が禁止され、錦絵の出版界は大打撃を受けます。ですが国芳はこの規制を逆手にとり、自らが愛した猫・金魚などをモチーフにして役者絵を変身させたばかりではなく、狐や狸などの「化かす」動物をテーマに政治家たちを風刺する新ジャンル(いわゆる風刺画)を切り開いていきました。その発想の縦横無尽さには舌を巻くばかりです。その意味で、国芳は優れたグラフィックデザイナーであっただけではなく、シニカルな眼で事実を切り取り、メディアで読者に伝達する一流のコミュニケーターでもあったのです。
 歌川国芳展は、途中での展示品入れ替えを挟んで、2月12日まで行われています。一見をおすすめします。

                                                      教授 三島 万里
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by bwukokusai | 2012-01-03 14:09 | 教員コラム