文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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ピーチ・アヴィエーションという航空会社知っていますか?

全日空(以下、ANA)や香港の投資会社FEIGなど3社が出資して2011年2月に設立した航空会社で、社名をピーチ・アヴィエーション株式会社(Peach Aviation Limited)といいます。日本で初めての本格的なローコスト・キャリア(以下、LCC)です。関西国際空港(以下、関空)を拠点に2012年3月から運航を開始します。

航空会社にはICAO(国際民間航空機関)登録の3文字コードとIATA(国際航空運送協会)登録の2文字コードがあります。全日空の場合、ANAがICAOコードで、NHがIATAコードです。ピーチ・アヴィエーションは、ICAOコードがAPJ、IATAコードがMMです。以下、ピーチ・アヴィエーションはAPJと表記します。

APJは、2012年3月1日より、関空―札幌線(週3便)、関空―福岡線(週4便)に就航します。3月24日までは就航記念として二つの路線で全席の8パーセント相当の5,000席を250円で販売しますが、基本的には、札幌線が4,780円(最安値)~14,780円(最高値)、福岡線が3,780円(最安値)~11,780円(最高値)とすると発表しました。往復割引や団体割引はなく片道運賃のみで、便の混みぐあいに応じて変動(カウントダウン方式)します。ANAをはじめ既存の国内航空会社の平均的な運賃よりも約50~66パーセントも安い運賃です。

日本のメディアはLCCに「格安航空会社」の語を当てたりしますが、これは安い運賃を提供する航空会社という意味です。「格別に安い」だけであって「安かろう、悪かろう」の航空会社というわけではありません。LCCは、航空輸送の本来の目的「旅客を輸送すること」に焦点を絞り、定時運航など運航面での高い品質と高い生産性を実現しています。輸送旅客数で、世界1位は米国のLCCサウスウェスト航空で、欧州のLCCライアンエアも5位です(2009年IATA発表)。「安っぽくない」証拠の一つにはライアンエアの従業員の一人当たりの平均賃金は欧州の大手航空会社ルフトハンザドイツ航空よりも高い水準にあります。

さて、LCCのこうした安い運賃はどのようにして生み出されるのでしょうか。LCCは、ANAなど既存の大手航空会社が無料で提供する付随的なサービスを廃止あるいは有料化してコスト削減を図り低運賃を実現します。こうしたことから既存の大手航空会社のことはフルサービス・エアライン(FSA)とかレガシー・キャリア(LC)とか呼びます。

APJは、サービスやコスト削減でもANAとはまったく異なるビジネス・モデルをとります。まず、委託手荷物は有料です。座席の事前指定にも210円の料金がかかります。予約の変更にも変更料が必要です。予約はインターネットが基本でインターネット以外、例えば電話や航空会社の空港カウンターでの予約の場合は、1,050~2,100円の手数料が必要となります。APJはインターネットによる直売を主軸にしながらも、20~30パーセントは旅行会社を通じて販売する方針のようです。

航空機はA320‐200(エアバス320ダッシュ200型)の小型機(座席は180席)の1種類のみで、当初は2機で運航します。向こう2年間で10機を導入する計画といいます。単一機材の使用によってパイロットの訓練コストも削減し、空港も混雑していない、離着陸料の安い二次空港を使用して航空機の稼働率を高め(空港に駐機している時間を少なくする)ようとする手法です。

APJは、5月1日から関空―仁川線を皮切りにアジアの近距離線にも路線を拡大する予定です。また、ANAは、マレーシアのLCCエアアジアと共同出資でLCCエアアジア・ジャパンも設立しました。こちらは成田空港を拠点に札幌線、福岡線に2012年8月より運航を始め、アジアやハワイなどの中距離の国際線への就航もめざします。APJは、全く別会社ですが、エアアジア・ジャパンはANAの子会社です。

一方、JALもLCCジェットスター・ジャパンをカンタス・グループ、三菱商事と共同出資で設立、2012年からの就航を計画しています。

2012年は、LCC同士はもちろんFSAとLCC間の、一段と激しい競争が繰り広げられる年になりそうです。

                                                        講師 西村 修一
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by bwukokusai | 2011-12-27 11:53 | 教員コラム

北鎌倉を散策する

先日、鎌倉に住む大学の先輩に誘われて、鎌倉のお寺を散策しました。「無伴奏ヴァイオリンリサイタルin建長寺」(下右写真)というイベントが夕方に建長寺で催され、それを鑑賞する前に北鎌倉駅から建長寺までのお寺巡りをしました。

鎌倉は大昔に修学旅行で訪れた時以来で、その時の記憶と言えば鎌倉の大仏ぐらいです。修学旅行ですからいろいろな場所を訪れているはずですが、大仏様以外は全く記憶にありません。今回、本当に久しぶりに鎌倉を訪れ、その素晴らしさを再発見することができました。よくご存じの方も多いでしょうが、身近な観光地・古都鎌倉の散策のご紹介です。

北鎌倉には、横須賀線直通の湘南新宿ラインを利用して、新宿からは一時間足らずで到着です。朝10時半ごろに北鎌倉駅に到着し、鎌倉街道沿いの鎌倉五山(注)のうちの3つ、すなわち、第二位の円覚寺、第四位の浄智寺、そして第一位の建長寺に加えて、その途中にある東慶寺と長寿寺の合計5つのお寺を午後2時ごろまで散策しました。
(下図参照)
(注)鎌倉五山とは建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺の5つの寺をいいます。
中国南宋の五山十刹制度にならい、北条氏が鎌倉の臨済宗の禅寺の寺格を表す五山制度を導入し、足利義満のときに確定したと言われています。
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最初に訪れた円覚寺は五山第二位の寺格をもち、モンゴルが日本に攻め入ってきたときに戦って死んだ兵士たちのために建てられたということです。神秘的な雰囲気が漂うお寺です。東慶寺は明治時代まで男子禁制の尼寺であり、縁切り寺・駆け込み寺として知られていました。裏庭のうっそうと茂る木立の中に苔むした多数のお墓があり、そのなかに、西田幾太郎、鈴木大拙、高見順、小林秀雄ら多くの著名文化人のお墓が点在しています。浄智寺はひっそりとした落ち着いた佇まいを見せ、また、長寿寺は足利尊氏が創建し、遺髪を埋葬したと言われる質素なお墓があります。途中で昼食をとり、午後2時頃、鎌倉五山第一位の建長寺に到着です。

建長寺は建長5年(1253年)鎌倉幕府五代執権北条時頼が建立した我が国最初の禅寺です。堂々とした三門(山門)があり、また、唐門は、芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)(NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の「江」で有名)の御霊屋にあったものが移築されたといわれています。この唐門の奥に方丈があります。方丈といっても300人ほどもはいる横長の部屋です。建長寺の方丈は、11月の宝物風入や各種儀式、コンサートなどの催しなどに使用されています。ここで、今回のコンサートも開かれました。石田泰尚さんの無伴奏バイオリンによるバッハなどの西洋音楽を仏間で鑑賞するという貴重かつ不思議な体験をしました。ちなみに、昼食はお寺巡りの途中で、名物のけんちん汁をいただきましたが、これは建長寺発祥の料理で、もともとは「建長汁」とかいて「けんちん汁」と読むという説もあるようです。
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コンサートの後は、鶴岡八幡宮を通り抜け、すっかり夕闇に包まれ賑わう鎌倉小町通りのお店にて夕食をとり、夜も更けて鎌倉駅にたどり着きました。観光への震災の影響は徐々に薄れつつありますが、まだ北鎌倉には外国からの訪問者が少ないと感じながら歩いた、16,000歩ほどの散策でした。古都の歴史とロマンを肌で感じる非日常の一日で、心身ともに大変リフレッシュすることができました。
                                                     教授 高橋 哲夫

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by bwukokusai | 2011-12-20 19:31 | 教員コラム

読書の秋より読書の冬

“読書の秋”を象徴するイベント読書週間が、毎年10月27日から11月9日に開催されることからも(本ブログ「スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋」2010.11.09.参照)、読書に適した季節は秋という事になっていますが、個人的な経験では読書に本当に向いているのは秋より冬ではないかと思います。

子供の頃に岡山県の山里の農家に育ったので、秋は収穫の季節で子供ながら家の手伝いに忙しくも慌ただしくもあり、読書には向いていなかった記憶があります。特に、私の通った小・中学校は純農村地帯にあり、昭和30年代でも一週間の田植え休みがあったほどです(今でも、その小学校は周囲に家が一軒も無く、田んぼの中にポツンとあります)。ましてや、稲作の最終工程である秋の稲刈り(しかも手作業!)から脱穀、籾摺りまでは農家にとっては一家をあげての総力戦で、小中学生といえども、大切な労働力として期待され動員されました。秋の日は釣瓶落しと言いますが、日に日に早くなる日没時間に急き立てられるように、忙しなく働いた(働かされた)記憶があります。その結果、疲れ果てて秋の夜長に読書を楽しむゆとりはありませんでした。

それに引き替え冬は農閑期なので、木こり・炭焼きなどの山仕事はあるものの、麦踏みなどを除けば農作業の手伝いは少なくなります。それに、山仕事は稲作などの農作業と比べ単調な繰り返し作業が少ない印象があります。山仕事の主な対象は植林地ではなく、地域共有の入会地(「野山」と呼んでいた)で、気ままに育った樹木の伐採でした。特に、大木が風を切って大音響をたてて倒れる瞬間には爽快感を感じたものです。もちろん、肉体的な疲れはありますが、農作業によるくたくたになるほどの疲労は感じませんでした。そのおかげで、家の手伝いが無い休日や夜になると、外は寒くとも暖かな炬燵に潜り込んでミカンを食べながら本を読むという、最適なシチュエーションで読書を楽しむことができました。おまけに、雪でも降ろうものなら、静かな山里にあっても夜は一段と静まり返り、いくらでも本を読むことに集中できたものです。また、中学1年生の時はいわゆる三八豪雪(昭和38年1月豪雪)の年に当たり、特に雪が多く降りました。しんしんと降り積もる雪の厚さと、読み進む本の厚さを重ね合わせたものです。
そんな原体験から、個人的には読書の秋より読書の冬と思っていますが、皆さんはどう思われますか。

関東地方のこの冬は、気象庁の3か月予報によると、12月は平年並みか高めの気温が、1月2月は次第に低目になるとのことです。雪が降れば読書に集中できるのですが、今年の冬はどうなるでしょうか?

                                                     教授 瀬島健二郎 

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by bwukokusai | 2011-12-13 10:33 | 教員コラム

八甲田山雪中行軍演習の悲劇は何故起きたか。

7年前になりますが夏休みを利用して十和田湖へ家族旅行をしました。奥入瀬渓流へ向かう途中、観光バスの車窓から、なだらかで優雅な八甲田山連峰が見えてきました。日本百名山の一つに数えられている名山です。心地よい窓からの涼風に身を任せながら、ふと、八甲田山で起きた悲惨な遭難事件のことを思い起こしました。新田次郎が『八甲田山死の彷徨』と題して新潮社から出版していますし、映画にもなりご存知の方も多いと思います。私が学生のとき、経営学の授業でA教授がその悲劇の原因を熱っぽく話されました。そのことは今でも脳裏に焼きついています。

日露戦争を目前に控えた明治35年に雪中行軍が計画、敢行されました。厳寒の八甲田山を横断し十和田湖を巡り、出発地の青森市へもどる全長210余キロ、10日間の雪中行軍演習です。演習は二隊に分けられ、神田大尉が指揮官となって211名を率いる青森歩兵第5連隊は時計周りで、一方、徳島大尉率いる弘前歩兵31連隊は、時計とは逆周りで総勢わずか37名の隊員でそれぞれ青森市を出発したのです。二つの連隊構成の大きな違いは青森第5連隊には山田少佐という佐官が随行し、しかも211名という大連隊であったのに対し、弘前31連隊は37名の少数精鋭で、山田少佐のような上官は随行していなかったということです。指揮官である徳島大尉は独断専行で自由に指揮をとり、11日間をかけて無事に雪中行軍を成功させます。青森第5連隊の指揮官、神田大尉は指揮権の一切をとることが決められていたにもかかわらず、神田大尉の指示・命令に対し、山田少佐が理不尽な横槍を入れるのです。このため指揮命令系統の乱れから199名の凍死者をだし、演習は悲惨な結末となりました。しかも報道管制がとられ、国民には一切知らされなかったのです。

A教授は、指揮命令の一元化原則と監督範囲適正化原則が守られなかったのが主因だと話されました。この原則は、フランスのボアグ・ランブール社の鉱山技師でのちに経営の最高責任者となったアンリ・ファヨールHenri Fayol(1841-1925)が『産業ならびに一般の管理』(1916年)を著し、この中で組織を効率よく、組織目標を達成するために守るべき14の原則をあげています。「一元化」と「適正化」の原則はこの中に含まれていると、講義されました。「君たちが社会人となり、組織の中で上司と呼ばれる地位についた時、この話を思い出してもらいたい」と告げられました。組織では、命令、指示が上から下へ一人の上司によって迅速、正確に伝えられねばならない。複数の上司から命令を受けると、部下は混乱します。私自身、元の職場で管理職ポスト削減のため二つの課が一本化され、部下が50人をこえたケースを体験したこともあります。優秀な部下に恵まれて大きな事故はおきませんでしたが、組織管理の難しさを実感した思い出がよみがえってきます。

<参考文献:国立国会図書館所蔵>
1)山本安次郎著 『フェイヨル管理論研究』有斐閣 1955
2)H.ファヨール著 佐々木恒男訳『産業ならびに一般の管理』未来社 1972
3)佐々木恒男著 『アンリ・ファヨール』 文真堂 1984
4)アンリ・ファヨール他 佐々木恒男編訳 『経営改革論』 文真堂 1989
5)ジャン・ルイ・ポーセル編著 佐々木恒男監訳 『アンリ・ファヨールの世界』 文真堂 2005

                                                   教授 宍戸 寛

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by bwukokusai | 2011-12-06 08:11 | 教員コラム