文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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カタカナと英単語の発音

私は、毎年、新学期の始めの授業で「英単語をどれくらい知っていますか」と学生達に聞きます。ほとんどの学生は、答えるのに苦慮しますので「仮に3,000語から5,000語の英単語を知っているとし、それらの単語を発音してネイティブ・スピーカーに聞いてもらうとどれくらい通じるでしょうか?」と聞き直します。このように聞くと、半分以上通じると答える学生は皆無に等しく、ほとんどの学生は、謙遜もこめて10%から20%ぐらいと答えます。

これではせっかく学んだ英単語が、コミュニケーションに生かされず無駄になってしまいます。そこで、できるだけこれらの単語を使えるよう授業の中で修正してゆきます。この修正で厄介なのは、すでに日本語の中に入っている「カタカナから学んだ英単語」です。もうすでにインプットされて幾久しくたったものを、英語の正しい発音に直すにはかなり時間がかかります。確かにカタカナになった英単語のメリットもあります。少なくともそのカタカナの類似音を探して行けば(和製英語を除いて)大抵正しい英単語にたどりつけます。しかし、発音となるとカタカナの音がかなり邪魔になるケースが多々あります。最初にカタカナで頭の中に入れてしまった単語を、自分なりに英語の音として発音したのに、意外な体験をしてしまった学生達のお話をしてみましょう。

ずいぶん前のことですが、短期留学から帰ってきた学生が、反省会で自分の英語が通じなかった例として、ある日、ホストファーザーに「ブラウニーが食べたい」と言ったら「ハムみたいなものが出てきたんです!」という報告を受けました。このホストファーザーがどのようにこの英単語を聞いたのか想像してみますと、たぶんこの学生が発音した「brownie」の一番近い音として「boloney」が食べたいと理解し、いろいろな肉がミックスされたボロニーソーセージをこの学生に出したのだと考えられます。これは単に、カタカナから学んだ英単語が災いしたと言うより「r」と「l」の発音の問題にもなりますが、甘いものを食べたかったこの学生にとっては、忘れられない体験になったことでしょう。

この他にも、ファミリーレストランでコーラを注文したのに、ぜんぜん違うものが出てきてしまった体験。ネイティブの先生に「trauma」を「トラウマ」と発音しても理解してもらえなかったなど、カタカナから学んだ英単語の発音が影響してコミュニケーションが上手くとれなかった失敗談を学生からいろいろ聞いています。ほんの少し修正を加え意識して発音することで、これらの英単語がネイティブ・スピーカーに理解してもらえたら、今すでに知っている英単語がコミュニケーションに生かされます。もし興味のある方は、英語の歌でも映画でも「生の英語」をできるだけ多くインプットし、英語の音が良く聞こえる「脳」を作ってみて下さい。英語の音が正しく聞こえるようになると、英語を正しく発音できる基礎ができます。
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                                    教授 坂本 政子





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by bwukokusai | 2011-10-25 10:58 | 教員コラム

今度は、カイン・コンプレックス

我が大学には、2月と9月の通常授業のない時期にとれる科目が幾つもある。異分野の教員達が協力してオムニバス形式等で授業を繰り広げ、コラボレーション科目群を提供している。これらの授業は、新都心と小平両キャンパスで行われ、学生達は普段所属していないキャンパスで受講して自分の専攻と違う分野の見識を深めることも出来る。

私は、「シネマ小平」というコラボ科目のコーディネーターをしていて、(といっても、罪のない人々が次々に突然殺されていくシーンが辛すぎて、『シンドラーのリスト』や『戦場のピアニスト』を途中しばらく直視出来ないような情けないコーディネーターなのだが)4名の先生方と一緒に、学生が普段ならあまり見ないような映画を取り上げ、鑑賞の事前・事後授業を通して、毎年いろいろな角度から社会的学びを得られるように工夫している。

今年9月は、社会的弱者と呼ばれている人達に焦点をあてて、自閉症への理解を深め、貧困の問題等をとりあげた。私自身は、昨年夏に大阪で起きた2幼児置き去り事件との比較から、「ネグレクトという悲しい現実逃避」という授業タイトルで、『誰も知らない』を新しい切り口でとりあげることにした。ネグレクトもまた世代間で負の連鎖があり、これを断ち切るために活動されている長谷川博一氏の取り組みや著書の内容を学生に紹介し、法改正後も、強制立ち入り調査にはなかなか至らない仕組みを図などで説明した。これと比較して、人命救助のために不可欠であるスピーディな対応が、アメリカの児童虐待防止通告法でどのように明文化されているかを、「36時間以内」という具体的数字を例に説明した。また、キース・N・リチャーズのようなN.Y.の児童虐待調査官達が、ねばり強く張り込みをし、銃口を向けて追い払う親に対してさえ、警察と協力して調査を続けた姿勢や、緊急事態にあっては「法廷侮辱罪で留置場に入れるぞ!」と制止されながら、判事につめよって許可状を求めたシーン等を自伝的著作から引用して読んだ。授業後には、学生の「親が子どもを守れないなら、他の大人達で守れる社会を私たちで作る!」というたのもしい声も聞こえ、そんな意識を持ってくれたことが、嬉しかった。

そして、今度はなぜカイン・コンプレックスかというと、この「シネマ小平」で是非とも来年コンプレックスを取り上げたい、と私は目下考えているからだ。何しろ、うちには言語学者も英文学者もいるので、『英国王のスピーチ』をとりあげて吃音の問題やオーストラリア英語について詳しく授業をして頂くことも、『ベニスの商人』をベースにシェイクスピア文学における人種的コンプレックスについて語って頂くこともお手の物なのである。そして、スタインベック学会に所属している私自身は、『エデンの東』を通して、カイン・コンプレックスについて授業をしたいと思っている。

カイン・コンプレックスというのは、幼い時分には親の愛をめぐって兄弟姉妹に対して抱いたコンプレックスで、その後の人間関係にも影響を及ぼしていくものだ。私の卑近な例で言えば、未だに6つ違いの兄に、「お父さんは、文を可愛がって…文には甘かった」とこぼされる。その代償としての、父の心配性による束縛や、私が友人に指摘されるファザ・コン気味の生きにくさについては、文系の素養も深い兄なのに理解してくれる様子がない。兄妹ですら、人のことは、いい部分しか見えないものだ。

このテーマが実現すれば、カイン・コンプレックスという名称の生みの親であるユングのことや、名前の由来となった「カインとアベル」の話を聖書から引用して話すこともしたい。皆のよく知るピーター・パンが書かれた背景には、作者の母が夭折した兄にばかり強すぎる愛を注いでいた事実があったという例も話そうか?母が夢の中で会っていた、けっして大人になることはない少年のままの兄・・・。ピーターの宿敵フック船長は、物語のラストで鰐に食べられてしまう。自由闊達に天空を飛び回るピーターに憧れながらも、作者バリーの分身は、嫉妬という地上の鰐にのみこまれたフック船長でもあったはずだ。原作を読めば、フック船長にはとても紳士的なところがあり、読者の感情移入を許す描写が見てとれる。・・・いや、それよりも、最近やっととりあげられるようになった障害児の「きょうだい」、自分が主役の想い出がないという彼らの問題に関して理解を深める方が、授業として意義深いだろうか?いずれにしろ、さまざまなコンプレックスの例を通して、学生達には、自分のコンプレックスを乗り越えるだけでなく、コンプレックスをうまく受け入れることも知り、他人のコンプレックスに理解を示せる大人に成長してもらいたい・・・。かように、一年後の開講へと向けて、先生達はいろいろと考えているのであ~る。・・・次世代へのさまざまなメッセージを、我々の心にこめて・・・。
                                   教授 久保田 文
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by bwukokusai | 2011-10-18 11:05 | 国際文化・観光学科の紹介

英語の秋の表現

金木犀の香りや店先に積まれている栗やマツタケをみると秋を感じます。秋になると空気が乾燥して過ごしやすくなり、木々の葉が赤く染まり我々の眼を楽しませてくれます。また、暑い夏から寒い冬に向かうまでのつかの間の安らぎにも似た時間を秋は提供してくれます。日本語ではこの季節を表すことばは1つですが、英語には秋を表すことばが2つあります。今回はこの英語の秋を表すことばについて、少し触れてみたいと思います。

英語には秋を表すことばとして、autumn と fallの2つがあります。 主にアメリカではfallが、イギリスではautumnが使用されています。16世紀頃からイギリスではこれら両方の単語が秋を意味することばとして使われるようになりました。autumnはラテン語のautumnus「増大の(季節)」が起源です。fallは「落下」を意味する古英語に由来しています。 秋になると木々の葉が落ちる、つまり「落ち葉」のfall of the leafに由来しています。

16世紀以前イギリスではharvest が秋を表すことばとして使われていました。harvestはもともと「集める」の意味で、「実になったものを集める」ということから「収穫」となり、その季節が秋であるので「秋」という意味で用いられるようになったようです。

ではなぜ、harvestの代わりにautumnやfallが使われ始めたのでしょうか? 16世紀になると都市化が進み身近に農耕地が少なくなり, 秋が収穫と結びつきにくくなったのではないかと言われています。その代わりに、当時知識人が使っていたラテン語由来のautumnや「落ち葉」由来のfallが徐々に用いられるようになったようです。しかし19世紀半ばまでにはfall はだんだん使われなくなりました。現在イギリスではautumnが主に使われていますが、イギリスのある地方では「秋」の意味としてfallが依然使われているところもあります。

一方、アメリカではfall が主に使われていますが、これは17世紀初めのころイギリスからアメリカへ入植した人々がfallを使う地方の人たちで、それがそのままアメリカに根づいていったのです。しかしアメリカでも「秋風」のautumn breezeのような表現はわざわざfallになおさずにそのまま使われています。 autumnのほうがより詩的で文語的な感じがするそうです。このように文脈によってはautumnが好まれる場合もあるようです。

読書の秋、実りの秋、食欲の秋を皆様はどのように過ごされるのでしょうか。

                                               教授 石田 名都子

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by bwukokusai | 2011-10-11 10:41 | 国際文化・観光学科の紹介

「上から目線」にご注意

最近よく聞く表現に「上から目線」というのがあります。「上から目線でものを言うの、やめてもらえます?」とか「何で上から目線?」などというふうに使われていますね。

『理系の人々』*1というコミックがありますが、その中に、理系男子とその友達が何かを議論している場面の4コマ作品があります。友達が何かいろいろ論じていると、理系クンはいきなり「ちょっと待って」と言って、その話をいったん中断させます。そして、親指と曲げた人差し指で顎をはさんでしばらく黙って考えた挙句、「うん、確かに言ってる筋は通ってる。続けて」と言って、友達をキレさせるのですね。

「話の筋が通っている」というのは、一見、相手の話をプラスに評価しているとも言えますが、この場合、明らかに失礼ですよね。このような「相手へのプラス評価の表現が裏目に出る」ケースは日常生活にもあります。

たとえば、相手への称賛を表わすつもりで、後輩が「先輩の報告書、とてもよくできてますね」、学生が「先生は授業がお上手ですね」などと言ったり、アルバイト生が「店長、お仕事お疲れ様でした」と言ったりします。すると、先輩や先生、店長は「何、その言い方」とカチンとくるはずです。

でも、プラス評価しているのに、された相手が「失礼だ」と感じるのは、考えてみると不思議な話とも言えます。

語用論の分野では、対人関係をスムーズに進めるための言語ストラテジーについての研究が数多くなされていますが、リーチという学者は、人と人とのコミュニケーションには「ポライトネス(丁寧さ)の原則」という規則があるとして、次の6つの規則を挙げました*2。

1.気配りの公理(他者の負担を最小、利益を最大にする) 
2.寛大さの公理(自己の利益を最小、負担を最大にする) 
3.称賛の公理(他者への非難を最小、称賛を最大にする) 
4.謙遜の公理(自己への称賛を最小、非難を最大にする) 
5.合意の公理(自己と他者との意見の相違を最小に、合意を最大にする) 
6.共感の公理(自己と他者との間の反感を最小に、共感を最大にする)
他者とのコミュニケーションの際、人はこのような規則に従って、人間関係を良好に保とうとしているというのです。

このうちの「3.称賛の公理」から先ほどの例を考えますと、「ほめること」「相手をプラス評価すること」も「ねぎらうこと」も、相手への称賛ですから、人間関係を良好に保つ方に働くはずの行為です。ですから、この公理で行くと、先ほどの理系クンにしても、後輩や学生、バイト生にしても、相手との関係を壊すコミュニケーション方法はとっていないはずなのです。では、なぜ、後輩などのケースは失礼なのでしょうか。

これは、日本語には「目上はほめない、ねぎらわない、評価(プラスでも)しない」という敬語の規則があるためです。「ほめる」「ねぎらう」「評価する」はその行動自体が「上位の立場から下の立場の人間へ」という方向性のある行為です。ですから「相手を評価する」という行動をとると、それだけで、評価した自分は相手より上だと言外に表現してしまうことになるのです。日本語では、先ほどのポライトネスの原則において「相手が目上かどうか」で使用制限があるのですね。つまり、「上から目線」かどうかに非常に敏感、とも言えるでしょう。

ですので、目上の人を面と向かってほめたいときには「よくできている」「上手だ」など直接的に「ほめ」や「評価」を表す表現を使わず、「先輩の作品、感動しました」「店長の時だと私は仕事がやりやすいです」と自分の感想を述べる表現に変換したり、「先輩の作品、色使いが絶妙ですよね」など、全体でなく一部をほめたりという回避行動がよく取られるような気がします。

日本人でも日本語学習中の外国人でも、日本語で一番難しいのは「敬語」であるとよく言います。動詞それぞれに丁寧語、尊敬語、謙譲語の別があるのですから、確かに簡単とはとても言えません。でも、実際難しいのは「行きます、いらっしゃいます、まいります」などを覚えることではなく、それらをある場面で使うかどうかを判断することであったり、決まり文句以外にたくさんある「敬語的意図を含んでしまう表現」を使いこなすことだったりするのです。

さて、前に述べた理系クンですが、プラス評価した相手は目上でなくて友達だったのに、どうしていけなかったのでしょうか。やっぱり、料理を作ってくれた人に対して「ちゃんと料理だね」とほめるようなものだからですかね。

*1 よしたに(2008)『理系の人々』中京出版
*2 鈴木生夫他(2003) 『応用言語学事典』研究社:pp.212-3「リーチの理論」の項参考

                                             准教授 星 圭子

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by bwukokusai | 2011-10-04 12:52 | 教員コラム