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文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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太平洋岸縦断の旅

  3月11日の東日本大震災の大津波は、私の思い出深い数々の風景をさらっていってしまった。
  私は、専門学校の教員時代の卒業生で千葉県に住む男性3人と「千葉県民の旅」と称し、年に1回1泊2日の小旅行を楽しむ。ほぼ毎年続け今までに伊豆、蓼科、白川郷、伊香保、湯西川、知多半島などなど、多くの地を訪れてきた。
  この大震災で甚大な被害を受けた仙台、松島を訪れたのは8年前の3月である。私たちは、柏市のT君の自宅前を出発、東北自動車道を北上して仙台に入り、その日は仙台市郊外の秋保(あきう)温泉に一泊した。
  翌朝、太平洋岸の松島を訪れた。松尾芭蕉が『奥の細道』の中で「扶桑第一の好風」(日本で一番のすばらしい景色)と評したとおりの美しい穏やかな海であった。海岸から少し歩いた所に瑞巌寺がある。参道がまるで海から続いているようなお寺である。境内には梅の老木があったように記憶している。
  海辺の食堂で特産の牡蠣(かき)がたっぷり入った濃厚な味の牡蠣鍋を食した。1時間ほど街をぶらついてから、牡鹿半島まで足を延ばして小さな漁港で車を止めた。予定になかった漁港で、名前も思い出せない。ここでは干物を焼いてもらって食べた。帰路の運転担当で下戸(酒が飲めない体質の人)のT君を除いた3人はここでもお酒を少々いただいた。実においしかった。港の人々どうしで交わされる会話の意味はほとんどわからない。だが、なにかしらぬくもりのある人々の話し声は、みちのくの旅に独特の旅情をかもし出してくれる。
  帰りは松島から定期船が塩釜港まで出ているというので、S君とK君の2名は船でいくという。船酔いに弱い私はT君と車で移動し塩釜港で落ち合うことになった。塩竈(しおがま)神社に行こうかという私の突然の提案に彼らは予定時間をオーバーしているのでまたにしましょうと、予定の訪問地の小名浜港へ急ぐことになった。国道6号線を海岸沿いに、浜通りを南下した。相馬を過ぎ福島原発のある双葉、富岡のあたりになると道路も広く街並みも整然としてくる。いわき市を抜けて海へ向かって走るとほどなく小名浜港である。ここでは、活きのいい魚を食べ、海産物のお土産を買おうと決めていた。
  魚市場の2階に、おいしい魚料理が安く食べられる食堂があると聞いていたので、そこで遅い昼食をとることにした。漁師の家の家庭料理のように豪快で食べ応えのある定食をいただいた。4人とも家族もちだから、それぞれ海産物のお土産も買いこんだ。
いわき勿来から常磐道に乗り帰途についた。
  翌年の3月には、常磐道をいわき勿来で下り、北茨城の五浦海岸の海辺にある旅館に1泊して、翌日、日立、ひたちなか、水戸、鹿嶋へと海沿いの町を南へ旅行した。
 
  この2回の旅行で訪れた太平洋の海辺の町のいくつかは大津波で壊滅状態になった。テレビで放映される映像を見るたびに8年前と翌年に訪れたときの町のたたずまいや土地の人々の行きかう姿が消えてしまった状景にただ愕然とする。少なからずの観光資源が破壊されたことだろう。五浦海岸の六角堂も津波にさらわれたという。
  一日も早い復興をひたすら祈るばかりである。

                                                     講師 西村 修一

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by bwukokusai | 2011-04-26 17:44 | 教員コラム

上を向いて歩こう

東日本大震災は、一ヶ月経った現在も私たちの生活に大きく影響を及ぼしています。災害の大きさに一時自粛ムードが広がりつつも、徐々に「復興のために」という合言葉のもと、さまざまな活動が始まっています。

震災で日本を離れる外国人も多かったようで、震災直後、閑散とした東京駅などで大きな荷物を持った人たちを、私もたびたび見かけました。日本に来る外国人観光客は70%減ったというニュースもありましたし、一時帰国するという選択をした方々も多かったようです。ニュースでこれまでよく、他国で起こった災害や事故などのため帰国した日本人観光客が成田に到着する映像を見てきましたが、出国を見送る側の気持ちをはじめて知った気分でした。

実は、地震当時、小平キャンパスには一ヶ月弱の短期研修でタイからの留学生が24名来日していました。泰日工業大学という学校からの学生さんたちで、来る前のアンケートには「富士山、ディズニーランド、サンリオランド、明治神宮、皇居、鎌倉、銀座、谷中銀座、秋葉原、お台場・・・」などと、行ってみたいところが書き連ねてあり、日本に興味を持ち研修を楽しみにしている様子がうかがえました。2月末に到着、その週にはじめての雪を体験し、寒いのに外に出て記念撮影したり、書道・茶道・華道・浴衣などを一通り体験したり、また、インターネットなどで検索して、銀座の食べ放題に行ったり早咲きの桜を見に行ったりと、積極的に日本滞在を楽しんでいました。

その滞在のさなかに地震が起こりました。みな非常に動揺し不安だったと思いますが、パニックになることもなく研修を続けてくれました。ですが、その後の状況といえば、テレビに映るのは想像を絶する被害の様子や原発のニュースばかりでしたし、スーパーやコンビニのパンや牛乳の棚はがらがら、交通機関は止まり、小平では計画停電も始まるというありさまで、日本の生活は劇的に変わってしまいました。そして行くはずだった鎌倉旅行も中止となり、帰国も前倒しされることになりました。せっかくの日本留学だったのにどんな印象を持って帰るのだろうと、私たちにはどうにもならないことながら、本当に申し訳ない気持ちでした。でも、残された日々の研修を充実させることに力を尽すことしかできませんでした。

授業最終日が来て「さよならパーティー」が行われました。パーティーでは何か出し物をとお願いしていたので、学生さんたちは次々にディスコダンスや練習したヒップホップダンスを披露してくれました。みな授業とはまた違う雰囲気で、生き生きと楽しそうでした。ダンスの次は歌で、Aクラスはタイ語の歌、Bクラスは日本語の歌を選んでいました。

「この歌は、雲が出て雨が降っても、きっといつか晴れる、という意味があります。今、日本は地震で大変ですが、きっと、また太陽が出ると思います」
タイの歌について、学生さんはこのように日本語で説明し、クラスを越えて全員で歌ってくれました。そして、日本語の歌で彼らが選んだのは「上を向いて歩こう」でした。
「みんなで歌いましょう」
教員も、来てくださった国際交流センターの方もいっしょになって日本語で歌った後、彼らは全員で叫びました。
「がんばれ、日本!」

a0149405_16393214.jpg震災後、多くの外国の方々が「心は日本と共にある」というメッセージを送ってくださいましたが、いちばんはじめに聞いたこの彼らの心のこもった歌と激励は、ずっと忘れないでしょう。同じ被災下の状況を共有しながら、私たちにくれた言葉ですから。

4月になり、当初の予定通りに大学の新学期が始まりました。そして、この状況にもかかわらず、多くの留学生が日本で新生活を始めました。彼らも不安がないわけではもちろんないと思いますが、それでも日本での生活を選んで来てくれたのです。彼らに満足する学校生活を送ってもらえるよう、私たち教員はいっそうの責任を感じて、新しい学期を始めています。
                                                                                                   

                                   准教授 星 圭子                                                                                                                                                    

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by bwukokusai | 2011-04-19 16:43 | 教員コラム

メディアの「力」

 東日本大震災で被災された皆様およびその関係者の方々にお見舞いを申し上げますとともに、現地や避難先で復興に向かって立ち上がられている方々に心からのエールをお送りいたします。

 今回の大震災では、発生当初から今日まで、さまざまなメディアが総力を挙げて情報発信を続けています。このブログを読んでいる皆さんはどのようなメディアから情報を得たでしょうか。
  (株)野村総合研究所が3月20日時点で関東地方の20才から59才の3200名に聞いたところ(http://www.nri.co.jp/news/2011/110329.html)、重視している情報源として「NHK」をあげた人が80.5%、「民放」が56.9%とテレビが1位、2位を占めました。調査対象はインターネットユーザーですが、一方向で大量の情報を伝達できる伝統メディアの強さを実感するとともに、今回NHKが特例で行ったインターネット動画配信の影響もあるでしょう。ユーストリームのこのサービスは合計視聴者数が500万件を超えたといいます(3月20日付日本経済新聞、サービスは3月25日終了)。
 私も3.11(大学は卒業式当日)は、全ての交通手段がストップ、帰れなくなった卒業生、保護者の方たちと新都心キャンパス大ホールで一晩を過ごしましたが、発生当初は学生たちの携帯で、その後は大ホールに運び込まれた大型テレビでNHKの情報をえていました。

 インターネット関連ではヤフー、グーグルなどの「ポータルサイト」が43.2%でNHK、民放テレビに次いで第3位、ツイッター、フェイスブックなどの「ソーシャルメディア」は18.3%で第7位でした。グーグルは地震発生後2時間で日本語版パーソンファインダーを稼働、60万件を超える情報を集めたということです(4月3日付日本経済新聞)。
 ソーシャルメディアではユーザー同士の連絡、安否確認はもちろん、被災現地からの情報発信やクチコミ効果を生かした情報共有機能が次々に現れました。節電を呼びかけた「ヤシマ作戦」、買いだめ防止をひろげた「ウエシマ作戦」はその代表でしょう。私の若い友人ジャーナリストはすぐに現地に飛び、伝統メディアが伝えきれない被災地の生々しい情報を次々と発信、即日義援金のネットワークを立ち上げました。

 ソーシャルメディアから発信される情報は信頼できるものばかりではありません。コスモ石油千葉製油所のタンク火災では「有害物質が雨などと一緒に降る」、福島原発事故では「放射性物質にはヨウ素入りのうがい薬を飲むと効果がある」などの偽情報が駆けめぐりました。しかし、時間の経過とともに、誤った情報には指摘の書き込みがなされ、信頼できる情報はリツイートが繰り返される、という状況が明らかになってきました。ソーシャルメディアに「情報選別」機能が備わってきていることが立証されたといえます。実際、先の野村総合研究所の調査で情報発信主体に対する信頼度の変化を尋ねたところ、「信頼度が上がった」が最も多かったのはNHK(28.8%)ですが、それに続いてポータルサイト(17.5%)、ソーシャルメディアで個人が発する情報(13.4% )が支持されました。

 16年前の阪神淡路大震災当時、日本のインターネット環境はまだ始まったばかりで、情報発信機能としてはFM放送など地域メディアの重要性が脚光をあび、その後のメディア研究の一つの流れをつくりました。
 昨年来、国の秘密情報のネット上への流出など情報規制に関する議論、大学入試でのカンニング行為などメディア規制に関する議論が盛んでした。もちろんこれらの問題は重要であり、今後とも注視していかなければなりません。しかし今回の震災によって、ポータルサイト、ソーシャルメディアなどのITメディアの「情報貢献」の可能性と「信頼性担保」という課題、伝統メディアとITメディアのそれぞれの特徴と立体的な棲み分けなど、メディアがもつ「力」への評価・批判がますます必要になってきます。
 さらにいえば政府、自治体、東京電力などの企業、IAEAなどの諸機関が発するさまざまな情報の質の問題―迅速さ、正確さ、到達性など―について、これから緻密な検証が為されなければなりません。

 この災害の復興にはまだまだ時間がかかります。メディア研究の新しい地平を開いていくことで、明日の日本の成長につながるような「芽」を育ててゆきたいと思います。

                                                        教授 三島 万里
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by bwukokusai | 2011-04-11 12:58 | 教員コラム

大震災 -自分ができることを着実に-

東日本大震災でなくなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、なくなられた方々のご家族や被災された方々に対して心からお見舞い申し上げます。また、まさに不眠不休で対応されている自衛隊、警察、消防、地方自治体、米軍、海外からの救援隊、現場で原発と戦っている関係者の方々、さらには、医療関係者、ボランティアの方々には本当に頭が下がる思いです。いずれにせよ、まずは第一に被災者の方々の安全・安心、そして一日も早い現地の復興(復興というより新たな地域創造が必要かもしれませんが)を願わずにはいられません。

連日、テレビから目が離せない生活が続きました。堤防を乗り越えて建物や自動車を押し流すどす黒い猛烈な津波の映像、たまたま最初にCNNで見た地震の翌日の福島第一原発の一号機の猛烈な水素爆発の瞬間の映像などはまさに衝撃的でした。そして、駐日米国大使のルース氏が23日、約1200人の被災者が暮らす宮城県石巻市立渡波小学校を慰問に訪れ、立ち膝になって何人もの被災者と抱きあい、被災者の方々や避難所の様子に対して「I saw the best of humanity here.(私は今日ここで人間性の最高のかたちを目にしました)」と涙声で語った場面などは、深く胸に刻み込まれました。
      
厳しいニュースの多い中で、日本各地でおこる支援の広がりや、世界の134の国と地域、39の国際機関から日本への支援の申し出があり、多額の義援金が集まりつつあるという事実には心が温まります。

観光産業は21世紀のリーディング産業と言われますが、平和で安全な世の中を前提としており、常にリスクを抱えています。しかし、21世紀に入って、2001年の9.11、2003年のイラク戦争やSARS、そして2008年のリーマンショックなど、数々の大きなリスクイベントによる需要の落ち込みがありましたが、「観光」は立ち直ってきました。時間はかかっても、必ず復興します。今回、日本は世界中の多くの人々の支援を受けているのですから、日本から世界を訪れて感謝をしつつ人々と交流をしたり、海外や国内の観光客を感謝の気持ちで受け入れ、日本人のもつ「ホスピタリティ」を発揮したりして、今後はなるべく早く、日本の「観光」が日本の地域や世界中の人々を元気にすることが期待されます。

テレビに釘付けになりながらも、昔のいろいろなメモを整理していて、10年ほど前に会社の上司に聞いて書き留めていた言葉(教訓)に再会しました。Be honest(正直であれ)、Be frugal(倹約せよ)、Be prepared(常に準備せよ)、というものです。それは、これからの困難な時代の行動指針に相応しいのではないかと思われるものでした。確か、『The Economist』 という英国の経済・ビジネス誌が実施したアンケートで「良い経営者にとって重要なもの(徳性)は何か」という質問を世界の経営者にしたところ、最も多かったのがこれら昔から大切とされてきた3つの教訓だったのです。

「正直」、「倹約」、「準備」、これらは、経営者にとってだけでなく、私たちがこれからの厳しくかつ予想のできない社会を生きていくにあたっての心の基盤として有効なものではないかと思います。大震災を契機として我々の生活は否応なく変化が求められていきます。自分の持ち場ですべきことを着実にする、それが大きな「支援」であり、「復興」への道ではないでしょうか。自ら考え行動したいものです。

                                                       教授 高橋 哲夫
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by bwukokusai | 2011-04-06 10:43 | 教員コラム