文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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校外授業に行こう!

 みなさんは小学生時代、社会科見学に行った経験があると思います。1,2年生では近所のパン屋さんや八百屋さん、3,4年生で警察や消防署、5,6年生ではバスに乗って企業の工場、国会議事堂、NHKのスタジオパークに行った人も多いでしょうね。現代文化学部では企業見学を校外授業として積極的に授業に取り入れています。「エーッ!大学生になっても社会科見学?」と思うかもしれません。でも学ぶ目的が異なると、違った視点から企業を見ることができますよ。

 小学校の社会科見学では、本物に触れることを通して自分たちの生活と職業のつながりを考えることが求められます(文科省HPより)。大学の校外授業は、企業と社会とのつながりを学ぶという、キャリア形成教育の一環であるところに意味があります。私も担当する授業の範囲内で可能な限り学生を外に連れ出しています。そこで企業の情報発信の実態を体験し、一人の消費者として企業情報を理解する力を養う、いわば企業の情報発信ツールのメディア・リテラシーを学ぶことができるからです。

 たとえば(株)味の素の場合、①雑誌、TV、HPなどで製品や企業そのものを広告する、②料理教室やお客様相談センターで消費者の声を聞く、③食の文化センター・食と暮らしの小さな博物館(港区)で食文化を育成する、④味の素スタジアムなどのネーミング・ライツ獲得でヤング向けブランド・イメージを醸成する、⑤世界各地で環境・社会貢献活動を展開する、⑥全国3カ所で工場見学と食育教育を行う、などの情報発信を行っています。a0149405_18212267.jpg現代文化学部の学生70名は今年2月、同社川崎工場を訪問、アジパンダ・アジパンナ兄妹の熱烈歓迎を受けてきました。

 おもしろいのは企業によって生産現場の見せ方に違いがあり、それが学生にきちんと伝わることです。どの年齢階層をコア・ターゲットとするか、発信する文化をどのように考えているか、などによって企業はコミュニケーション手法を変えており、複数の校外授業を経験した学生にはその違いがわかってくるということでしょう。たとえば森永製菓はチョコボールの「キョロちゃん」がメインキャラクターで小学生向け、味の素は鰹の一本釣り体験などヤング向けです。サントリーでは使用済みのビール熟成樽を使って異次元空間を味わうちょっと大人っぽい体験ができましたし、資生堂では同社の製品を自由に使ってメークアップが楽しめる、おしゃれなコーナーが設けられていました。同じことはサントリー美術館(港区)、資生堂ギャラリー(中央区)、たばこと塩の博物館(渋谷区)、電通アドミュージアム東京(港区)など企業が展開している文化施設見学にもいえます。

 あなたも校外授業でさまざまな企業コミュニケーションを体験し、メディア・リテラシーを学んでいきませんか?

                                                      教授 三島 万里

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by bwukokusai | 2010-11-29 18:22 | 教員コラム

アルファベットの伝え方

今年の6月、卒業生の一人が大学に訪ねて来てくれました。彼女は、JTBグループの旅行会社群(JTBは2006年4月から事業分野ごとに会社を分ける経営のかたちをとっています)の一つに4月に就職したばかりです。彼女がいうには「まず、これを覚えてきなさい」と入社してまもなく渡されたのがアルファベットの伝え方の表(欧文通話表、以下通話表)だったそうです。
 アルファベットの綴りを1文字ずつ電話の相手に正確に伝えるのに使う、アルファベットとその単語が記載された表です。フォネティックアルファベット(Phonetic Alphabet)といいます。たとえば「D」。周囲の雑音や相手の特徴的な発音によっては「ジー(G)」や「イー(E)」にも聞こえます。そうしたエラーを防ぐために、1927年に初めて考案されました。その後、軍事上の通信目的で独自の通話表なども作られたようです。わが国では「無線運用規則」(1950年)の別表に海上業務や航空業務用のものが定められています。

 ところで、旅行会社、ホテル、航空会社の予約・発券・接客の現場では、法的に決められているものとはちがった独特の通話表が使われています。誰がいつ使い始めたかはわかりません。私は、英国の海上無線で使われている通話表を下敷きにしながら自分たちの使いやすいように(一部を別な単語に置き換えて)作ったのではないかと思います。その通話表は以下のとおりです。
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 とくに年齢の高い人のなかには、国名や都市名を混ぜるとか、「O」を「Oboe(オウボゥ)」、「V」を「Victor(ヴィクター)」、「Y」は「Yoke(ヨウク)」という人もいます。
 伝え方ですが、たとえば「KAN」ならば、「King、Able、Nancy」と一語ずつ続けるのがふつうです。なかには、「KingのK」のようにていねいにいう人もいます。相手が外国人だったら、「K as in King、A as in Able、N as in Nancy」とか、「as in」の代わりに「for」を使って「K for King」とかいいます。
 日本の旅行・ホテル・航空(予約・発券・接客)業界独特の通話表ですが、一般のお客様との間でも十分に通じます。覚えておくと便利です。みなさんもぜひトライしてみてください。

                                                      教授 西村 修一

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by bwukokusai | 2010-11-24 10:50 | 教員コラム

通訳案内業(ガイド)の経験から

学生時代にアルバイトで観光ガイドをしていたことがあります。高校生の時、アメリカに留学していたこともあり、(当時は)英語をしゃべることにはそれほど苦痛はなかったのと、学生としては儲かる仕事であると友人に勧められたこともあって、アルバイトといっても、通訳案内業試験に合格して東京都に正規のガイドとして登録し、旅行会社(主にJTB)と契約して働いていました。もう40年ほども前のことです。

観光ガイドの仕事は、団体を対象にするもの、個人の案内をするもの等、いろいろあります。私が一番多く経験したのは20名ほどのアメリカからの団体に対しての1週間の日本観光案内です。団体の中味は現役を引退した夫婦がほとんどでした。日本やアジアに関心が深く、日本を含むアジア行きのパッケージツアーを購入した人々です。コースは、以下のような定型パターンで、日本での一週間はびっしり日程が詰まった強行軍でした。

日曜日=夕刻、アメリカから羽田空港(当時は国際線も全て羽田)に到着、ホテルへ。
月曜日=午前、皇居や浅草等の都内観光。(東京泊)
火曜日=日帰りで日光観光(往復は電車)。(東京泊)
水曜日=朝にバスで東京を出て、終日、箱根・富士山を観光。(箱根泊)
木曜日=熱海から新幹線に乗り京都へ移動。(京都泊)
金曜日=二条城・金閣寺・平安神宮等の京都観光。(京都泊)
土曜日=伊丹空港から出発(団体は香港へ続けて旅行)。

この全行程に同行し、観光案内をするのです。当時は私も体力に任せて土曜日に伊丹から東京に帰るとすぐ次の日曜日に羽田へ次の団体を迎えに行くというパターンを続けて何週間も繰り返したこともあります。大学紛争で、大学の授業も閉講が多かったためこんなことができたのでしょう。

具体的な仕事は、まず羽田到着時に出迎え、ホテルまでバスで案内し、翌朝ホテルからバスで都内観光に出る、バス内ではマイクをもって観光案内し、バスをおりては旗をもって観光案内をする、また、日光行きには浅草から電車に乗り、現地をバスで移動、また電車で浅草に帰ってきてバスでホテルへもどる、更に、バスで箱根へ観光の後も、熱海から新幹線に乗り京都駅で降りてからまたバスで移動というように、移動と観光案内の仕事を1週間行なうのです。その間、ガイドの仕事だけでなく、いわゆるツアーコンダクターとガイドの二役を一人でやらなければならないこともありました。(団体には、ツアーコンダクターがついている場合とついていない場合がありました)。

やりがいのあるチャレンジングな仕事でしたが、それなりに気疲れや苦労も多くありました。ベテランに比べると未熟な学生の身分で何とか続けられたのは自分の楽天的な性格によるところもありますが、アメリカ人団体の陽気な明るさやフランクなコミュニケーション、それに寛容さによるところも大きかったのではないかと思っています。

最後に伊丹空港に送っていくと、バスを降りるときに団体の皆さん一人ひとりが、私と握手してくれ、額はまちまちでしたがドル札でチップをくれ、(まとめると相当な額になったものです)にこやかに香港に向けて旅立っていったものです。ひとつの仕事をやり遂げた満足感と別れの寂しさが入り混じった複雑な心境でした。まだ1ドル360円の強いアメリカの時代であり、古き良き時代のことです。

今振り返れば、観光地の案内や紹介はそれなりにできていたとは思いますが、その奥にある日本の歴史や文化の紹介、日本人そのものの紹介がいかほどできたかと思うと、もっとしっかり勉強して説明ができたらよかったという後悔もあります。

その時の私の経験では、「観光」の成功には、特に現地での満足度の向上には、いくつかの要素があります。まず、第一に、自然であれ、歴史的な人造物であれ、観光資源の価値が高いこと。ただしこれは価値判断ですから国民差・民族差や個人差があるということを認識し、旅行者のニーズに合致した観光資源を提供する必要があります。第二に観光資源の価値を高め、広める仕組み、すなわち、交通、宿泊の体制が整っていることや情報の提供が現地において適切に行なわれること。インフラの整備や案内標識のようなものから、より踏み込んだ情報が提供できるガイドなど、ソフトウェア的な体制の整備が大切です。第三には、これが特に大事ですが、現地の人々の受け入れ・もてなしの気持ち、いわゆるホスピタリティ精神というヒューマンウェア的な要素です。

「観光」という無形のプロダクト(商品)をハード・ソフト・ヒューマンにわたって総合的にプロデュースし、観光を振興し、観光客の受け入れを拡大していくというのは大変な仕事ですが、同時に大変意味のあることです。環境は厳しいのですが、幸い、観光の重要性に対する地方自治体をはじめ関係各所の認識は高まっています。また、日本政府の成長戦略として、「観光立国」という強い追い風があります。海外から日本を訪れる人々は間違いなく増えていきます。そして日本人ももっと海外を知る必要があります。文化女子大学で観光を学んだ学生が、観光業界で活躍できる人材となって、日本の観光の質と量の向上に貢献してもらえればと願っています。


                                                     教授 高橋 哲夫

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by bwukokusai | 2010-11-15 18:06 | 教員コラム

スポーツの秋、食欲の秋、読書の秋

 10月下旬になり、急に寒くなってきました。今年は夏が酷暑だったことから、急激な気温の変化に体がついて行けなくて戸惑っています。
 夏がどんなに暑くとも、日本では季節はめぐり、秋を迎えます。秋といえば、スポーツの秋、食欲の秋、そして読書の秋ですね。気温が下がることで屋外活動が好ましい季節を迎えます。体を動かせば、お腹がすきますので食欲が増進します。また、秋は夜が長くなりますので、灯火の下で読書を長く楽しむことができます。四季のある日本の幸せを感じます。
 読書の秋といえば、読書週間が連想されます。読書週間は10月27日から11月9日の、11月3日の文化の日を挟んだ2週間になります。毎年、TVで日本最大の古本屋街での「東京名物・神田古本まつり」の映像がニュースで流れます。恒例の秋の風物詩ですね。また、本屋さんで買物をすれば、書店くじがもらえます。今年は国民読書年で10月23日には国民読書年記念式典が東京・上野の能楽堂で行われたほか、各地では図書館を中心に講演会や展示会など多様なイベントが行われています。
 さて、読書週間は、この様に良く知られていますが、誰が、何時から始めたのかは、あまり知られていません。今回は、この話題を紹介してみます。
 読書週間は読書推進運動協議会(略称:読進協)という団体が主催しています。もともとは、敗戦後の昭和22年11月17日から11月23日の1週間、文化国家としての日本を再建しようとの当時の時代の風潮から、出版社、図書館、取次、書店などの団体が協力して実行委員会を作って始めたもので、大盛会だったようです。当時は多くの人が本に飢えていたという事情があります。1週間ではもったいないということで(つまり、本がよく売れたのでしょう)、翌年から期間が現在の10月27日から11月9日の2週間に延長となりました。また、この時期のみの読書推進でなく、一年を通して取り組もうということで、昭和34年には実行委員会を発展させて読書推進運動協議会が作られました。春には、こどもの読書週間に取り組む等しています。
 実は、この読書週間には前史があります。それは、大正12年から昭和13年にかけての、11月1日から7日までの1週間の間に行われた図書館週間(主催:日本図書館協会)です。しかし、大正12年の関東大震災で大きな被害を東日本の図書館が受けたので、西日本中心の行事となり、全国的には翌年からの取り組みになりました。幾つかの府県では、図書館週間でなく、読書週間という表現を使った例があります。当時の東京市立図書館(*1)でも、読書週間と銘打って講演会、展覧会などを行った記録が残されています。
 戦前は図書館が中心でしたが、戦後は出版界を挙げてこの運動に加わり、読書推進に取り組んできました。このこともあって、日本人は読書好きという評価が定着するようになって来たのではないでしょうか。

*1 東京市立図書館:その後昭和18年には都制の施行により都立図書館になり、昭和25年に都立日比谷図書館を除き、区に移管された。23区の公立図書館の源流。
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                                                  教授 瀬島 健二郎

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by bwukokusai | 2010-11-09 17:44 | 教員コラム

二十一世紀の大学像

今日、大学教育改革の最大のポイントは、一体何に求められるだろうか。それには先ず、一般教養を再評価することから始まるだろう。すなわち、一般教育それは幅広い教養教育科目を重視した大学教育像を、しかも今の時代にあった多種多様化社会に対応する科目の充実だと考えられる。言い換えれば、新しい時代・社会にむけて、大学とは何か、大学教育とは如何にあるべきか。あるいは大学における学問というのは如何にあるべきか。さらに学生は、今どういう状況に置かれ、社会の激動する変化への適応そして就職として考えたうえで、彼らは何を求めているのか。等々について客観的に再考する必要がある。つまり、十九世紀以降ヨーロッパ大学から姿を消している一般教養を現代的な観点から問い直すことが、今、緊急で何よりも大切な課題だと考える。アメリカ型リベラル・アーツ(教養科目としての語学・芸術・歴史・哲学・文学など)の再考である。
 J・オルテガが、その著書『大衆の反逆』(1930年)の中で近代社会は、民主主義や科学技術を享受するが、その本質や価値に無関心な「新しい野蛮人」(知性の欠如した大衆)が増大すると予言している。この知性の欠如した大衆の典型が科学者・大学教授であり、彼らは「専門主義の野蛮性」に陥っている、と鋭く問題を指摘した。そうした重大問題を克服すべく、彼は『大学の使命』(1930年)の中で、一般教養の時代に合った改革を説いている。今や日本の大学では従来のような空洞化した一般教育の理念は完全に通用しない。その内容は形骸化していると考えられる。いつの時代・社会にあっても、大学は「学問の府」として学識知性に溢れ、高い人格・人間性と高い見識、さらに教育者の使命と情熱をもつ研究者が求められていると思う。
 私の理想は専門主義に陥った、片輪的偏屈な人間性ではなく、文武両道そして豊かな感性と知性、それは文学も音楽も宗教もあらゆるものを一通り解する、余裕ある遊びごころの人であり、感受性のある全人的健康的人間のことである。特に二十一世紀の現代社会においては、大学の学問・教育は社会的、経済的な効用効果性がつよく要請されている。このことは日本だけに限らない。世界的に共通する動向であるといえよう。

                                                        教授 新保 哲

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by bwukokusai | 2010-11-03 08:32 | 教員コラム