文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

bwukokusai.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:教員コラム( 227 )

こころ豊かな感性と人間形成の場

大学という場は、これまでの高校での断片的な知識の習得・学習とは明らかに違って,広く開かれた高度な学問文化を学ぶところです。いいかえると、それは「大学は学問を通じての人間形成の場である」と言えると思います。大学では単に知識の詰め込み集積を学ぶだけではなく、むしろそうした知識を元に自分自身が自らの思惟・思索力で取捨選択し、判断し、善なる良き理想とする方向を目指し追究する場であります。一言でいえば、そこでは真・善・美のイデアを求め“考える”場であるといえます。

自分が真摯にひたすら学ぶことから、自然に自らの好みや思考に合った方向性が見えてきて、知らず知らずのうちに柔軟性や感性に富んだこころ豊かな人間形成・思想形成がされていくはずです。それは大学という専門的知識・技術をもった学識者の集団あってこそ、人類が蓄積してきた文化思想の継承発展が可能となり、また,学問的知の広い高い深い未知なる世界へと誘ってくれる訳です。とにかく,大学は学び考える、そして何かを確実に身に付けることの楽しさを育んでくれる絶好の場だといえます。

したがって、大学はいわば一生の仕事であるライフ・ワークの糸口を発見する“揺籃期”に当たると言えよう。その意味は重大である。何しろ自由な学窓から実社会に出てからのその人個人の将来に向けての展望そして発展は,君たちのように頭脳が若くて、何を見ても,何を聞いても、何を学んでもすんなりと吸収する能力がある、そうした青春期の真っ只中にこそあり、恵まれた特権をもつ二度とない春の季節にあると言える訳です。

学ぶこと、知ることの楽しさ、そして将来社会に出てからの勇気,決断力,独立自尊の精神、いわば雑草の様な逞しい生命力を発揮するその原点がここで生い育つことを期待し、素晴らしい人生を掴み取ってもらいたいと心より願っています。以上、そうした夢をもって私は「日本文化」のゼミを指導し学生と共に学んでいます。
                                 
                                                        教授 新保 哲
文化女子大学 現代文化学部 国際文化学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2010-03-09 10:35 | 教員コラム

資格を取得しよう -図書館司書資格とは-

世の中にはさまざまな職業があって、それぞれの持ち場で専門知識、技能が発揮され、市民生活が維持されています。職種の中には法律で定められた免許・資格が不可欠のものが多くあり、国家資格とよばれ、本学ではさまざまな資格取得のための講座が設けられています。その中で意外と知られていないのが、図書館司書の資格です。司書も図書館法に規定された国家資格です。

カウンターでの図書の貸出、返却業務をご覧になられた方は、これなら誰にでもできる仕事だと思われるのではないでしょうか。この業務はほんの一部でしかなく、図書館資料の選択・分類・目録作成(カード目録からインターネットを介したwebOPACへの移行)、読書案内、レファレンスワーク、読書活動推進のための事業の企画・立案と実施、さらに起業支援サービス、乳幼児を対象としたブックスタート、自動車文庫による巡回等々、時代の要請にこたえるべくいろいろなサービスが展開されるようになりました。このように司書業務がますます複雑多岐になりつつあります。

司書の資格を取得するためには、省令で定められた必要な科目を大学で履修しなければなりません。選択科目を含め、15科目20単位を履修すれば司書資格証明書が付与されます。しかし「地域の知の拠点」としての図書館を支える司書が、市民の情報要求に一層対処できるよう人材育成をはかる目的で、平成21年4月に「図書館法施行規則の一部を改正する省令」が発効し、平成24年4月から24単位に増えることになりました。

司書課程は、現在、現代文化学部に設置されていますが、短大部を除くどの学部からでも履修できます。文化女子大学の卒業生で現在、公共図書館には6名、大学図書館に2名が勤務しています。司書資格取得に挑戦してみませんか。

                                                         教授 宍戸 寛
文化女子大学 現代文化学部 国際文化学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2010-03-02 16:40 | 教員コラム

「ゆるキャラ」がメディア?!

「ゆるキャラ」、知ってますよね。市町村などのマスコットキャラクターで、記念行事や特産品宣伝イベントなどで大活躍しています。文化女子大学現代文化学部がある小平市の「ぶるべー」は、小平が日本におけるブルーベリー生産の出発点であることから生まれたものですし、先日私が訪れた富山県高岡市では同市の生みの親、加賀前田家第二代藩主・前田利長公をキャラクター化した「利長くん」が出迎えてくれました。

市町村などの情報発信(行政コミュニケーションといいます)はもう新聞に折り込まれる「市のお知らせ」(市報)だけではありません。ホームページ・ブログなどのITメディア、イベント・町づくりなどの空間メディア、キャラクターなどの立体メディア、食メディア、口コミなどどんどん増えています(メディア・クリエーションといいます)。また担い手もお役人から、ボランティアグループ、NPO(非営利法人)へと広がり、さらに企業を巻き込んで新しいメディアを創っていくこともあります。

高岡市の例を見てみましょう。まず市のHP「ほっとホット高岡」、高橋正樹市長のブログ「高岡のセールスマン!」が市民、観光客に情報発信をしています。富山県随一の国宝・瑞龍寺や鋳物の町・高岡の象徴「高岡大仏」、古い商家の町並みを残す金屋町、土蔵造りの家々などは文化情報の重要なメディアです。ちょうど私の訪れた2月13,14日はボランティアグループが中心となって「瑞龍寺のライトアップと門前市」を開催、2万7000人が雪明かりの中の荘厳な劇場型空間メディアと高岡の食文化を楽しみました。

あなたも生まれ育った街、旅先で心に残った街の歴史や生活文化をもっと知りたいと思いませんか?そしてその情報を新しいメディアで発信し、街のファンを増やしていきたいと思いませんか?国際文化学科・国際観光コースにはその夢をお手伝いする授業がそろっています。ちょっと「カリキュラム」のアイコンをクリックしてみてください。
a0149405_1147862.jpg


                                                        教授 三島 万里


文化女子大学 現代文化学部 国際文化学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2010-02-23 11:54 | 教員コラム

言葉を勝手にはしょるな-雑感-

我が家の最寄り駅近くのドーナッツ店に行った時のことです。私の前にいた女性、店員との間で注文を終えて、「お持ち帰りですか?」と聞かれ、「はい、持ち帰りで。」次に私が注文をすると、「お召し上がりですか?」瞬間、口には出しませんが、(てやんでえ、食うから来てるに決まってるじゃあねえか)と、鼻白む思いです。「(店内で)お召し上がりですか、それともお持ち帰りですか。」英語だったら”For here, or to go?” と、はしょらずに言ってくれればこういうことにはならないはずです。

全体を言わずに一部だけを言うために、意味が通じなかったり、おかしなことになる場合がよくあります。格言「情けは人のためならず」の意味を正しく理解していない若者が多いと嘆く人が多いようです。私の祖母は常に「情けは人のためならず、巡りめぐりて己(おの)がため。」と言っていましたので、それを聞いて育った私は小学生の頃からその意味を取り違えようはありませんでした。今、誤解している若い人でもこのように聞けば、その意を取り違えることは少ないでしょう。

例その二、「おんぶに抱っこ」。至れり尽くせり、という意味に用いている人が多いようです。これなども、本来は「おんぶすれば抱っこ、抱っこすればおんぶ」で、子供をあやす時など、どんなに手を尽くしてもなかなか満足してはくれない、厄介で手に負えない様を表す表現であると私は理解しています。至れり尽くせりの意味では「乳母日傘(おんばひがさ)」とか「上げ膳据え膳」という表現があります。

およそ言語というものは時代と共に変わっていくものですから、そのこと自体に横槍を入れるつもりはありません。ただ、学生を前にして人を褒めるようなとき、「あの人は切れ者で・・・」等と表現しようものなら、思ってもいない意味に受け取られて狼狽することがあるのが残念なだけです。さりとて、「あの人は才気煥発(さいきかんぱつ)な人で・・・」なんて言ったら余計に分からない人が増えるでしょうから。


                                                       教授  伊藤 敏郎
文化女子大学 現代文化学部 国際文化学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2010-02-16 16:28 | 教員コラム

ある卒論ゼミの風景

キャンパス内は、例年1月20日近くになると少しピリピリとした雰囲気になります。卒業論文の提出の時期なのです。普段はおっとりとした学生が、血走った目で提出先である教務部に駆け込んだりする姿も珍しくありません。そして、提出後に研究室に顔を見せてくれるときの表情には、例外なくすがすがしいものがあります。

私の専門が、国際関係、アメリカの政治・外交といった領域であるため、私の卒論ゼミでは、ベトナム戦争、アメリカの政治制度、近現代の国際政治、などに関するテーマを選ぶ学生が多くなります。特に、ベトナム戦争は、これまで何人もの学生が取り組んできたテーマです。彼女たちは皆、超大国アメリカが、20年余りにわたってベトナムに軍事介入した挙句に撤退を余儀なくされた一連の経緯に興味を抱くのですが、アプローチの仕方はそれぞれです。アメリカが1950年代半ばに介入するにいたった状況に焦点を当てたもの、アメリカの本格的な軍事介入のきっかけとなった「トンキン湾事件」を中心に論じたもの、戦争がアメリカ社会に与えた影響と反戦運動の関連を考察したもの、などなどです。それぞれの学生の問題意識が異なるので、同じテーマでも同じような論文にはなりません。ひとつの事象を複数の視点から見ることの重要性を、教員の方が学ばせてもらっているわけです。

私のゼミで、今年度卒論をまとめた学生のことも少しお話します。彼女の最初の関心は、「全体主義(あるいはファシズム)がなぜ生まれたのか?」というものでした。その関心は、やがて全体主義を生み出す社会の方に向けられていきました。つまり、「ヒトラーがなぜ登場したのか?」という疑問を足掛かりにして「12年間もヒトラー政権を存続させたドイツ(あるいはヨーロッパ)とはどのような社会なのか?」という大テーマに挑んでいったのです。具体的には、リップマン1)とオルテガ2)という二人の思想家の主著を、比較しつつ考察する作業を積み重ねました。両大戦間期に青年時代を過ごしたこの二人の思想家は、ファシズムが専制的な社会からではなく、民主化が市民レベルまで浸透した「大衆社会」の中から生み出される状況をつぶさに観察していました。そのようなわけで、大衆社会に内在する全体主義の「芽」を描き出した両者の主著――『世論』(リップマン、1922年)と『大衆の反逆』(オルテガ、1930年)――は、彼女にとって自身の問題提起を考察する際にうってつけの材料となったわけです。

教員にとって卒論は一種のマジックのように思えることがあります。人間は、幼いころは日々成長し、その様子がはっきりと見えますが、ある時期からは、少なくとも外見からは劇的な進歩は確認しにくくなります。ところが、卒論に取り組む学生は、数ヶ月で驚くほどの成長を見せることがあります。「きのうまではハイハイしていた赤ちゃんがヨチヨチと歩いた」みたいな変貌振りを見るときほど教員としての喜びを感じるときはありません。

1) リップマン: Walter Lippmann(1889-1974)アメリカのジャーナリスト、政治評論家。
2) オルテガ: Ortega y Gasset(1883-1955)スペインの哲学者。

                                                       教授  中沢 志保
文化女子大学 現代文化学部 国際文化学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2010-02-09 11:36 | 教員コラム

交流の中から異文化を学びあう~チューター活動について~

現代文化学部のチューター活動は来年で6年目を迎えます。国際文化学科の学生も、その専門に結びつく活動であるだけに、始まった年から積極的に活動に関わってきています。

チューター活動は、異国である日本で学ぶ留学生を日本人学生がチューター(tutor 個人指導者)としてサポートする活動としていろいろな大学で行われていますが、本学部の活動はもっと相互的なものです。日本人チューターと留学生のペアに求められるのは、定期的に顔を合わせて、お互いにやりたいことを提案しながら交流するということです。これまでのペアたちは、レポートチェック・授業のアドバイスなどの他、互いの国の言葉のレッスン、一緒にランチをする、ディズニーランドやアウトレットに行く、留学生の国に旅行するなどの活動をしていました。このような自由な活動を成功させるのに必要なのは、互いに意味のある時間を持とうという気持ちと、その時間を作りだそうとする責任感といえるでしょう。

チューター活動をしているみんなが集まってイベントを行ったりもします。1月14日には新年会を行いました。おいしいものを食べながらのおしゃべりやゲーム、ペア活動だけでは味わえない楽しい交流でした。

a0149405_16275096.jpg




新年会のゲーム「人間知恵の輪」がほどけない・・・・










留学生はチューターとの交流から、プライベートな関係でこそ見えてくる日本人の考え方などを学べますし、異国で暮らす上で欠かせない人とのつながりを作ることができます。一方、チューターのほうも、同国人だけの付き合いからは学べないようなものの見方を学べ、相手の国や文化についても直接的に知ることができます。どこかに書いてあったこと、人から聞いたことでなく、自身の個人的な体験を通して異文化を理解するのです。社会に出る前の自由な感性でその体験をすることは、以後のものの見方を大きく変えていくものだと思います。

参加者からは、「自分の文化を改めて自覚できるようになった」「他の国の人がどんなことを考えているのか新しい発見があった」「普段なら出会う機会の少ない人と交流できてよかった」「いろいろなことを話せて楽しかった」「相手のがんばる姿を見て、自分ももっとしっかりしていこうと思った」「就職に役立つ」などの感想が寄せられています。

活動年度が終わってチューターという関係でなくなっても、その後も友達としてつき合いが続くということもたくさんあります。今年度の活動も終わりましたが、来年、どのような関係が始まっていくのかと楽しみにしています。

a0149405_16293599.jpg



ペアで書いた寄せ書き










                                                      准教授 星 圭子
文化女子大学 現代文化学部 国際文化学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2010-02-02 17:53 | 教員コラム

甘い? 苦い? チョコレートのお話

ここ数日で、コンビニやデパートでは、きれいにラッピングされたチョコレートが陳列されるようになりました。2月14日を前に、毎年恒例のバレンタイン商戦がスタートしたのですね。なんと、この時期に日本の1年間のチョコレート消費量の2割ほどが売り上げられるのだそうです。ところで、このバレンタインデーの由来をご存知ですか?

3世紀、古代ローマでは兵士の士気が下がるという理由で若い兵士の結婚が禁止されていました。それを哀れに思ったキリスト教の司祭バレンタインは、密かに兵士たちを結婚させましたが、捕らえられ、処刑されてしまったのです。後に、彼が殉教した2月14日を「聖バレンタインの日」とし、男女が愛を告白したり、贈り物をするようになったというのが通説です。

日本では、女性から男性に愛情の告白をし、チョコレートを贈るという特徴があります。欧米では、チョコレートに限定されているわけでも、女性から男性へと一方的なものでもないのです。もっとも、日本では、最近は友だち同士でチョコレートをプレゼントしあう「友チョコ」が流行なのだとか。文化や習慣が伝わっていく過程でどんどん変わっていくことを「アカルチュレーション」と呼びますが、バレンタインデーは、その事例として興味深いものがあります。

ところで、チョコレートの原料であるカカオ豆は、南米や西アフリカなどで栽培されています。カカオ豆は、どんな風に生産されているか想像したことがありますか? キャロル・オフの著した『チョコレートの真実』(英知出版)には、世界一のカカオ豆輸出国である西アフリカ、コートジボワールのカカオ農園の様子が克明に記されています。隣国のマリなどから人身売買で連れられてきた子どもたちが、奴隷状態で働かされているというのです。このような児童労働を知るには『わたし8歳、カカオ畑で働きつづけて』(合同出版)も入門書としてオススメです。

バレンタインデーに幸せの象徴のように食べられる甘~いチョコレートには、苦く哀しい現実が潜んでいるのです。グローバル化した現代では、遠く離れた人々ともつながっています。そんな人々のことも想像し、身近に感じられる力を持ちたいものです。そうすれば、いつかチョコレートを食べる人々も、カカオをつくる人々も、ともに幸せになれる日がくるでしょう。

                                                        助教 栗山 丈弘
文化女子大学 現代文化学部 国際文化学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2010-01-26 12:30 | 教員コラム