文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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2013年 11月 12日 ( 1 )

近代教育の3段階について

 ほぼ三ヶ月の期間で春夏秋冬がそれぞれ巡って来る日本は、まことに四季に恵まれた自然の豊かな地である。春と夏が主に身体的な躍動の時だとすれば、秋と冬はどちらかと言えば知的・精神的な収穫を求める時期だと言えよう。“読書の秋”などと言われて来たが、まだまだ死語にはなっていないことを期待して、立冬の日にあって、思考や思索を一層深めて行って欲しいものだと、学生たちに勝手に期待を寄せている。

 さて、18世紀から本格化する近代も、昨今の様子を一瞥すれば、所謂先進国にあっては本格的に店仕舞の段階に入って来たように感じる。次はどのような店が開くのかはまだ良く分からないが、近代のもたらしたものを帳簿の上で点検してみることは必要であろう。正(+)のものも有れば負(ー)のものもあろうが、その中で引き続き発展させていくべきだと思われるものに、“近代学問”がもたらした自然、社会、人間についての探求がある。
 自然については、物理学を中心に大宇宙のことから地球環境・生命の発生まで;社会については、人間社会の発生から集団としての来歴、そして今日の人間関係まで;人間については、自分は何者であるのか、生きるとはどういう意味があり、死ぬことにはどういう意義があるのかについて、個としての人間存在と集団としての人間存在の特徴とあり方を探求して来た。

 近代教育の中で、初等教育(小学校)と前期中等教育(中学校)は、どちらかと言うと、現在ある社会にいかに適応して生きていくかに主眼がおかれており、放っておけばただの世間的民衆にしかならない人間を国民国家の成立基盤である“国民”に育成することにある。
 後期中等教育(高校)はそれまでの過程とその成果をさらに強固なものにするとともに、より意識的・能動的に近代を支え、国民国家を発展させ、深化させる人材を養成する場としての高等教育(大学・大学院)への繋ぎの役割を果たすことにある。ここまでは、いわゆる“勉強(原義:無理して頑張ること)”や“学習(原義:真似ることと反復すること)”で過去の知的遺産の骨子を習得することがその方法である。
 高等教育では、おもに“近代学問”が行われ、自然・社会・人間についての積極的な探求がなされ、特に“教養”が、つまり自然・社会・人間の三者が有機的な繋がりを持ったものであり、不可分のものとして相互に浸透し影響し合っていることを理解するとともに、そこに自分がどのように係わっていくかを“探求する場”である。教養とは単なる雑多な専門知識の乱雑な集積ではなく、“綜合性(有機的な脈絡を持っていること)”を持った知識の集積であることに注意が向けられねばならない。ここでは、学生にとっての勉強や学習は暗黙裏に当然の習慣的行為とされ、求められるのは“それ以上の何か”、“自ら探求する力”“知識を綜合化する力”を養成することである。よって、学生は小・中・高校の“生徒(徒弟)”のつもりで勉強や学習をやっているようではまったく話にならないのであり(それさえしないのは論外である)、“自ら探求する力”“知識を綜合化する力”を身につけるために必要なことを“学生”として勉強し学習するのである。

 以上のことから、大学への進学率が高まること、そして高等教育を受けた人間が国家・社会に広く存在することは、数量的にはその国家なり社会なりの質が高まることを保証するものであり、そこから更なる活性化が期待されると言えよう。勿論、そこには「高等教育機関で真面目にそしてまともに“教養”が探求されている」ことが前提であり、この前提が成立していないならば、大学はその社会的な存在意義を失っていると言われることになろう。

准教授 窪田忍


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by bwukokusai | 2013-11-12 09:00 | 教員コラム