文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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2011年 12月 06日 ( 1 )

八甲田山雪中行軍演習の悲劇は何故起きたか。

7年前になりますが夏休みを利用して十和田湖へ家族旅行をしました。奥入瀬渓流へ向かう途中、観光バスの車窓から、なだらかで優雅な八甲田山連峰が見えてきました。日本百名山の一つに数えられている名山です。心地よい窓からの涼風に身を任せながら、ふと、八甲田山で起きた悲惨な遭難事件のことを思い起こしました。新田次郎が『八甲田山死の彷徨』と題して新潮社から出版していますし、映画にもなりご存知の方も多いと思います。私が学生のとき、経営学の授業でA教授がその悲劇の原因を熱っぽく話されました。そのことは今でも脳裏に焼きついています。

日露戦争を目前に控えた明治35年に雪中行軍が計画、敢行されました。厳寒の八甲田山を横断し十和田湖を巡り、出発地の青森市へもどる全長210余キロ、10日間の雪中行軍演習です。演習は二隊に分けられ、神田大尉が指揮官となって211名を率いる青森歩兵第5連隊は時計周りで、一方、徳島大尉率いる弘前歩兵31連隊は、時計とは逆周りで総勢わずか37名の隊員でそれぞれ青森市を出発したのです。二つの連隊構成の大きな違いは青森第5連隊には山田少佐という佐官が随行し、しかも211名という大連隊であったのに対し、弘前31連隊は37名の少数精鋭で、山田少佐のような上官は随行していなかったということです。指揮官である徳島大尉は独断専行で自由に指揮をとり、11日間をかけて無事に雪中行軍を成功させます。青森第5連隊の指揮官、神田大尉は指揮権の一切をとることが決められていたにもかかわらず、神田大尉の指示・命令に対し、山田少佐が理不尽な横槍を入れるのです。このため指揮命令系統の乱れから199名の凍死者をだし、演習は悲惨な結末となりました。しかも報道管制がとられ、国民には一切知らされなかったのです。

A教授は、指揮命令の一元化原則と監督範囲適正化原則が守られなかったのが主因だと話されました。この原則は、フランスのボアグ・ランブール社の鉱山技師でのちに経営の最高責任者となったアンリ・ファヨールHenri Fayol(1841-1925)が『産業ならびに一般の管理』(1916年)を著し、この中で組織を効率よく、組織目標を達成するために守るべき14の原則をあげています。「一元化」と「適正化」の原則はこの中に含まれていると、講義されました。「君たちが社会人となり、組織の中で上司と呼ばれる地位についた時、この話を思い出してもらいたい」と告げられました。組織では、命令、指示が上から下へ一人の上司によって迅速、正確に伝えられねばならない。複数の上司から命令を受けると、部下は混乱します。私自身、元の職場で管理職ポスト削減のため二つの課が一本化され、部下が50人をこえたケースを体験したこともあります。優秀な部下に恵まれて大きな事故はおきませんでしたが、組織管理の難しさを実感した思い出がよみがえってきます。

<参考文献:国立国会図書館所蔵>
1)山本安次郎著 『フェイヨル管理論研究』有斐閣 1955
2)H.ファヨール著 佐々木恒男訳『産業ならびに一般の管理』未来社 1972
3)佐々木恒男著 『アンリ・ファヨール』 文真堂 1984
4)アンリ・ファヨール他 佐々木恒男編訳 『経営改革論』 文真堂 1989
5)ジャン・ルイ・ポーセル編著 佐々木恒男監訳 『アンリ・ファヨールの世界』 文真堂 2005

                                                   教授 宍戸 寛

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by bwukokusai | 2011-12-06 08:11 | 教員コラム