文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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2011年 05月 17日 ( 1 )

自分への問いかけ、そして時代を超えてきた人々との対話

 人というものは一種奇妙な特徴を持っているようで、十代を過ぎる頃から、ふとした拍子に、自分が今やっていることにはどんな意味があるのだろう、この世の中に自分が生きているのには、いったいどんな意味があるのだろう、クラスメイトや友人や親友たち、学校の先生たち、祖父母や親や兄弟姉妹たち、親戚の人たち、隣近所の人々は、私という人間を本当に理解してくれているのだろうか、そして自分はその人たちのことを本当にわかっているのだろうか、などと思うことが始まる。
 このような問いは、普通はあまり大っぴらにされることは無く、大抵は自分の心の中で自問自答されるものだ。とは言っても、それらの答えは、はっきりとした輪郭をもつようなものにはならず、中途半端なものになりがちである。そして程なくして、日々の生活や行事に追われるようにして、問いそのものも意識の表面からいつの間にか心の奥底に沈んで行く。
 このような不定期の繰り返しを重ねているうちに、歳月は流れ、齢は重なって行く。ある時に得たと思われていた答えは、次の時にはもう不十分なものであるように感じることがあるし、もう一度最初に戻って考え直そうと思うようになることもある。
 もし自分自身に誠実に向かい合い、自分の人生を少しでも誠意に満ちたものにして行きたいと思う気があるのなら、このような自分自身への問いには、少々面倒ではあっても、ちゃんと向き合うことができるだろう。
 ことし18歳を過ごしている人は、生まれて初めて18歳を過ごしているのであり、20歳の人も、30歳の人も、50歳の人も、70歳の人も、それぞれ生まれて初めての年齢を過ごしているのだから、それなりに他の人には言いにくい、漠然とした不確かな感覚を心の中に秘めているものだ。昔の人々も、二千年前の人々も、五百年前の人々も、百年前の人々も、皆そのようであったのだ。
 古典と呼ばれる、遠い昔から読み継がれた文学や哲学や宗教や歴史の書物がある。もちろん読み継がれて来たのにはわけがあり、各時代の人々が時代を超えて共感し、感銘を受け、心を拡げ、感性を豊かにすることができたので、是非それらを次の世代に伝えていこうとしたからである。
 古典に接し、筆者の思いや思索に触れ、そして筆者と自分との時代を超えた対話がなされる時、心の奥行きと思慮の深さとがもたらされる。単なる知識の獲得としてではなく、自身の内面を繊細かつ強靭なものとしていく上においても。

                                                       准教授 窪田 忍

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by bwukokusai | 2011-05-17 19:34 | 教員コラム