文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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2010年 08月 10日 ( 1 )

「夏休み」そして読書と思索 ― 学部生だった頃の遠い記憶

あれはまだ学部の学生の頃だった。今から三十有余年前のことである。あまりにも自分がものを知らなさすぎることを実感し、焦りを伴うその持って行き場のない空疎な感覚を悟られまいと、“若さ”を演技していた頃である。

その夏のある日、書店の文庫本の書架に並んでいる薄い一冊が目に止まった。偶然である。「読書について 他二篇」ショウペンハウエル*著 斎藤忍随訳 岩波文庫青帯版(定価は確か300円もしなかった)。
いつものように店頭で軽く立ち読みを始めたが、すぐに立ち読みでは済まされない衝撃を受けた。

「自分の思想というものを所有したくなければ、そのもっとも安全確実な道は暇を見つけしだい、ただちに本を手にすることである。........
「読書は思索の代用品にすぎない。......
「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。......
「読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。.....
「貧困と困窮は貧者を束縛し、仕事が知にかわって彼の考えを占める。これに反して無知なる富者は、ただ快楽に生き、家畜に近い生活を送る。........」

勿論、彼は読書を否定しているわけではなく、書物を通して学ぶ大切さも説いているが、その際に受動的な読書、ただ単に知識を得るための読書では精神的な自立はできないと言っているのであって、自分で能動的な思索ができること、独立思考(思索)ができることが読書の前提であると言っているのである。書かれていることや言われていることを鵜呑みにして覚え込み、“知識が増えた、賢くなった”と満足しているようでは、知性からは程遠い愚者にすぎない。情報が氾濫し、相反する主張や意見が錯綜する昨今、それぞれの本質を見極めるには、何を措いても先ず思索力を十分に養うことができるかどうかにかかっているようだ。

夏休みが来ると教員もまた嬉しい。日頃はままならない読書、学習、研究、そして思索のために、まとまった時間が取れるからである。教壇に立って講義をする者として学生諸子に是非とも知っておいてもらいたいことは、教員は自分の思索を経ていない知識や技術を伝授しているのではなく、それなりの思索を経たものを講義しているのであり、そして学生諸子も教授されるものをただ鵜呑みにするのではなく、自分の思索を通して吸収するようにして欲しいものである。

思索ってどうすればいいのかって? 講義でいつも実演してるでしょ!

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*ショウペンハウエル:1788−1860年 ドイツ(プロイセン)の哲学者。

                                                      准教授 窪田 忍

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by bwukokusai | 2010-08-10 08:57 | 教員コラム