文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

bwukokusai.exblog.jp
ブログトップ

2010年 04月 13日 ( 1 )

駒のそろっていないパズル

3月に卒業生の後ろ姿を見送る時、果たして自分はどれだけのインパクトを与えることができたのだろうかと思う。そして、知力あるいは知性を啓く(ひらく)ことができるようになる切っ掛けを与えることができたかどうかが気掛かりになると同時に、続きは各自が自分の人生を歩んで行く中で、さらに豊かなものに高めて行って欲しいと。

おおよその話であるが、高校までの学習はそれをきちんと覚えてしまえば、たちどころに正答が出てくるものばかりで成り立っていて、ちょっと工夫さえすれば、試験の解答用紙には赤丸が付いて返ってくる。まるで駒がすべてそろっているパズルを組み立てて行くようなものだ。そしていったい何点取れたかで未来の輝きが変わってくるように思い込んでしまいがちだ。このような習性は、いったん身に付いてしまうとなかなか抜け出せなくなる。
 
さて、大学で“学ぶ”ことはそれまでのものとは異なっていて、正答があらかじめ定められていない事柄を扱うようになってくる。正答に満ち溢れていた“お勉強”から、“何をもって正答とするべきか”を探求する“学問”の方へと変わってくる。“逆立ちしてもこれが正しい答えなのだ!”というものはなく、“もし唯一の正答があるとするならば、それはどのようにすればたどり着けるのか?”ということになるのだ。たとえ“多分、これがその「解」ではないか?”というものが得られても、“すべての条件の下でもそうか?”、“何かある限られた条件や前提のもとでしか通用しない「解」でしかないのでは?”というような、いったん解明されたと感じてほっとした途端に続けざまに新たな疑問や問題・課題があらわれてくるような事柄を相手にすることになる。つまり、駒のそろっていないパズルを解こうとするようなものだし、時にはまるっきり駒の無いパズルを解こうとすることもある。
 
有限のパズルを解くことから無限のパズルを解くことへとうまく切り替えられるかどうか。つまり、あの習性から脱皮できるかどうかが重要になってくる。そしてさらには、“そもそもこのパズルとは何なのか”ということに問いが向かうようになれば、新たな知性の地平と次元が啓けてくるだろう。

早い時期にこの問いに直感的に気づいた勘の良い子にとっては、有限パズルを解くことが苦痛に感じられたと思うし、それに反感を持ったのではないだろうか。そのような反感を心に秘めて、有限パズルの試練に耐えて大学にやって来た学生は、大いに見どころがあるというものだ。

4月になって、新入生がやってきた。誠に楽しみである。
                                                       准教授 窪田 忍

文化女子大学 現代文化学部 国際文化学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2010-04-13 18:07 | 教員コラム