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文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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ある卒論ゼミの風景

キャンパス内は、例年1月20日近くになると少しピリピリとした雰囲気になります。卒業論文の提出の時期なのです。普段はおっとりとした学生が、血走った目で提出先である教務部に駆け込んだりする姿も珍しくありません。そして、提出後に研究室に顔を見せてくれるときの表情には、例外なくすがすがしいものがあります。

私の専門が、国際関係、アメリカの政治・外交といった領域であるため、私の卒論ゼミでは、ベトナム戦争、アメリカの政治制度、近現代の国際政治、などに関するテーマを選ぶ学生が多くなります。特に、ベトナム戦争は、これまで何人もの学生が取り組んできたテーマです。彼女たちは皆、超大国アメリカが、20年余りにわたってベトナムに軍事介入した挙句に撤退を余儀なくされた一連の経緯に興味を抱くのですが、アプローチの仕方はそれぞれです。アメリカが1950年代半ばに介入するにいたった状況に焦点を当てたもの、アメリカの本格的な軍事介入のきっかけとなった「トンキン湾事件」を中心に論じたもの、戦争がアメリカ社会に与えた影響と反戦運動の関連を考察したもの、などなどです。それぞれの学生の問題意識が異なるので、同じテーマでも同じような論文にはなりません。ひとつの事象を複数の視点から見ることの重要性を、教員の方が学ばせてもらっているわけです。

私のゼミで、今年度卒論をまとめた学生のことも少しお話します。彼女の最初の関心は、「全体主義(あるいはファシズム)がなぜ生まれたのか?」というものでした。その関心は、やがて全体主義を生み出す社会の方に向けられていきました。つまり、「ヒトラーがなぜ登場したのか?」という疑問を足掛かりにして「12年間もヒトラー政権を存続させたドイツ(あるいはヨーロッパ)とはどのような社会なのか?」という大テーマに挑んでいったのです。具体的には、リップマン1)とオルテガ2)という二人の思想家の主著を、比較しつつ考察する作業を積み重ねました。両大戦間期に青年時代を過ごしたこの二人の思想家は、ファシズムが専制的な社会からではなく、民主化が市民レベルまで浸透した「大衆社会」の中から生み出される状況をつぶさに観察していました。そのようなわけで、大衆社会に内在する全体主義の「芽」を描き出した両者の主著――『世論』(リップマン、1922年)と『大衆の反逆』(オルテガ、1930年)――は、彼女にとって自身の問題提起を考察する際にうってつけの材料となったわけです。

教員にとって卒論は一種のマジックのように思えることがあります。人間は、幼いころは日々成長し、その様子がはっきりと見えますが、ある時期からは、少なくとも外見からは劇的な進歩は確認しにくくなります。ところが、卒論に取り組む学生は、数ヶ月で驚くほどの成長を見せることがあります。「きのうまではハイハイしていた赤ちゃんがヨチヨチと歩いた」みたいな変貌振りを見るときほど教員としての喜びを感じるときはありません。

1) リップマン: Walter Lippmann(1889-1974)アメリカのジャーナリスト、政治評論家。
2) オルテガ: Ortega y Gasset(1883-1955)スペインの哲学者。

                                                       教授  中沢 志保
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by bwukokusai | 2010-02-09 11:36 | 教員コラム