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文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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TAO と wet blankets

 文学作品の劇化等の関連から、エンターテイメント文化論という科目も来年度から担当する予定である。そういう立場でもあるため、「忙中閑あり」を何とか実践して、上質のエンターテイメントに直に触れるように努めている。7月末に、天王洲にある銀河劇場で上演された「TAO drum rock 琳と凛 ~美しき日本の姿~」を見に行った。TAO は、鍛え込んだ強靭な肉体による和太鼓演奏を中心に、ダンスやアクロバット的な要素まで盛り込んだ演技を披露するグループだ。大学での仕事だけで頭がいっぱいになりがちな私は、彼らをミラノ万博に連れて行きたいと狙っている友人に誘われての鑑賞だったが、確かに「日本を代表するエンターテイメント」と呼ぶにふさわしい内容だった。
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 我らが文化学園の卒業生であるコシノジュンコさんがデザインした「コンテンポラリーJAPAN」を伝える衣装は、抑制のきいた華やぎを醸し出していた。凛とした和の衣装に身を包んだアーティスト集団は、日本の粋とストイシズムに支えられた情熱を、全身で表していた。「現代のサムライ」を意識した黒をベースにメタルをちりばめた衣装や、天女の羽衣の動きを彷彿とさせる帯なども、演技内容にぴったりと合っていた。もちろん和太鼓の演奏が一番の出色だが、とび職のような動きや火消の出初め式を思わせるような短い演技、拍子木の音だけを劇場空間いっぱいにしだいに広げていき観客の感覚を切り替えさせる見事な工夫――あらゆる実験的な要素も、日本人にとっては悪戯に刺激的ではなく、心の土壌に水がすっと浸み込むように自然に受けとめられて、あらゆるくすぐりが心地よい。男性達の刺激的な演技を縫うように、女性達は哀愁を誘う横笛を吹いて鎮静と凪をもたらす。これらの好バランスが何とも心憎く、予定が許せば何度も足を運びたくなるような内容であった。

 しかし、興ざめだったのは、劇場サイドの案内である。劇場前で、何かの呼び込みかと思わせるような声を張り上げて、「ここは公道です!」と劇場内に早くから入るように人々を誘導していたが、その様子にいやな予感はしていた。入って行くと、「グッズの購入は、公演後は大変込み合いますので、いまのうちに……!」と、これまた声を張り上げている。そして、客席についてからは、「撮影は、ご遠慮下さい」という言葉を、放送と男女がかわるがわるに現われて叫ぶ地声で、少なくとも六回は聞かされた。他にも、インターミッションでは、「前の手すりに物を置くと、大変危険です」「前かがみになっての鑑賞は、回りの方へのご迷惑になります」などなど、およそ魅力的でない叫び声が、さっきまで人々をうっとりさせていた空間に耳障りに響く。図図しい人が何かしてしまった後で「駄目なら先に言っておけよ!」と居直る前に、全員を巻き込んで説明義務は全て果たしておこうとしているのだろうが、仕事帰りに大人のゆったりした夕べを楽しみにきた大方の観客達にとっては、何とも無粋で洗練のかけらも感じられなかった。神経質で余裕のない形だけのパターナリズムは、エンターテイメントの場にそぐわない。

 海外の劇場等で、こういった説明をうるさく感じたことは、一度もない。サブカルチャー的なエンターテイメントの場で、多少の説明があったとしても、ユーモアを織り交ぜてさりげなくすませてくれる。幕間に人々を追い立てるような放送など聞いたこともない。劇場に行く際に受けた注意と言えば、「あそこの劇場は座席が硬いから、クッションでも持っていくといい」と劇場部外者から言われたことぐらいしか記憶にない。何の注意もないから、写真をここで撮ってもいいかしら、とこちらから聞くと、「どうぞどうぞ、そんなに価値のあるものと思ってくれて嬉しい」と言われたり、駄目な場合でも、劇場の様子を静かに見守っている支配人のようなおじ様が、にっこりとした笑顔で、”Thank you for asking.” と返してくれたりするのが普通だ。

 日本でも、小劇場だったり短期的に特設の芝居空間が組まれたりしている場合には、しっとりした絶妙な案内をされることが多い。2012年5月に、John Steinbeck 作 Burning Bright が、渋谷のギャラリー・ルデコで本邦初演を迎えた時も、そうだった。劇空間として選ばれていたのは、コンクリートがむき出しにされた灰色のL字型スペース、舞台にただ一つ置かれている木製の机に視線を注いでいると、にこやかな男性に席の好みを聞かれた。彼はたしか、チェックのシャツを着ていたと思う。フロアーには簡単な折り畳み椅子も置かれていたが、「ある意味、一番見やすい場所です」と教えてもらったのは、外資系大型ディスカウンターにある金属パイプ製商品棚のようなしつらえの上段で、そこには園児向けのような可愛いクッションが置かれていた。「面白い……!(心の声)」その棚に座って足をぶらつかせながら、劇への期待はいやおうなしに高まった。上演が開始されると、原作には登場しない緑色の衣装を着た妖精が現れ、劇への導入役を買って出た。よく見ると、それは先ほどの男性で、見る者は二重の形で劇中世界に誘われているというしゃれた計らいだった。かくして、観客の現実的感覚は、巧みに麻痺させられていったのだ。

 要するに、パフォーマンスや芸術を理解し愛している案内人に誘われれば、鑑賞者達は非日常世界にすっと入り込んで、心行くまで楽しめるのだ。いずれにしろ、今夏7月23日の銀河劇場では、「何という言葉の浪費だろう」と溜め息をついた。私は日頃、言葉にこだわる仕事をしているが、あの日の公演では、TAO の言葉なくして観客を虜にする演出に聞き惚れ見惚れていた。歌声さえも掛け声の範疇を逸脱しないように計算されて、奏楽を小気味よく引き立てていた。そのすべての完璧さを、むごたらしく中断し壊していた場違いな叫び声の数々……。「throw a wet blanket (興ざめなことをする)」 という表現を、耳にしたことがあるかもしれない。あの日は、何十枚ものwet blanketsが観客席に投げ込まれていた。日本には他国のそれを凌駕する素晴らしいエンターテイメントがあるのに、それを取り巻く環境をふくめて成熟した文化と呼ぶには、まだ何かが足りない。
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教授 久保田 文
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by bwukokusai | 2014-09-02 09:00 | 教員コラム