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文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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ことばの「意味」を見つける

今年も本学から大勢の卒業生が巣立っていきました。卒業式では例年のように、社会人としての門出を迎えた卒業生へ、教授代表から励ましの言葉が贈られました。「一期一会」「真摯」というキーワードを核とした心にしみるスピーチを聞きながら、ふと、自分にとって社会人としての自分を振り返るときの言葉は何だろうということが頭に浮かびました。

「あなたが自分のカードをごまかしさえしなければ」

これは、須賀敦子という文学者のエッセイに出てくる言葉です。若いころから海外に留学し、日本文学とイタリア文学の翻訳の仕事をされていたほか、大学でも教えていました。文学者としては特にイタリアで暮らした時代を描いたエッセイが有名です。

先の言葉が出てくるのはその中の『ヴェネツィアの宿』です。女性として一人で生きるということの意味を問い直すために留学したヨーロッパ時代のことと、自身の家族の思い出とが、章ごとに交互に語られたエッセイですが、この言葉はイタリアの学生寮の寮長が、彼女に向けて語ったものでした。

『ヴェネツィアの宿』を読んだのは十数年前ですが、その後、折々にこの言葉がふっと思い出されることがありました。今自分がしていることは、「カードをごまかして」いることにならないのだろうか。自分のカードとは何なのだろうか。多くはこのような疑問として浮かび、答えは出ないのです。私には須賀敦子氏のようには自らの人生について突き詰めて問う力もなかったけれど、無我夢中のうちにも何らかの行動と選択を迫られつづける生活の中で、「カードをごまかさないとはどういうことなのか」という疑問だけは記憶のどこかにあったようです。

そのことを思い出し、卒業式の後、『ヴェネツィアの宿』のその個所を読み直してみました。すると、その言葉は、私の考えていた意味とは少し違ったのです。

寮長と筆者は様々なことを深く語り合う間柄になったのですが、あるとき、寮長が「西欧はあまりにも自分の文明に酔いしれている」と西欧批判をします。その西欧に人間の精神的な生き方の意味をたしかめに来た日本人の筆者は反論せずにいられなかったのですが、寮長は「あなたがいつまでもヨーロッパにいたのでは、本当の問題は解決しないのではないかしら。いつかは帰るんでしょう?」と問いかけます。「もちろんです、もうどこにいても大丈夫って自分のことを思えるようになれば」と言い、ただその日がいつ来るかわからないと答える筆者に、寮長はこう言います。

「ヨーロッパにいることで、きっとあなたのなかの日本は育ちつづけると思う。あなたが自分のカードをごまかしさえしなければ」

「自分のカード」とは、日本という生まれ育ちを持つあなた自身ということだったのでした。つまり、「カード」の意味は、私が考えていたより特定的だったのです。

とはいえ、「あなたが自分のカードをごまかしさえしなければ」という言葉は、この話の文脈から切り離されたうえで、私自身の文脈の中では別の意味を持っています。私は誤解していたことを反省し、自分が考えつづけてきた「カード」の疑問を、本文のような「自らの日本人性」という答えで置き換えるべきでしょうか。

そうではない、と思います。
言葉は、おかれた文脈を抜きにしてはその意味は特定できない、とされます。警句とか、金言とかと呼ばれる言葉は往々にしてとても短いもので、それだけに多くの意味を含んでいると言われますが、それは、その言葉そのものが持つ意味が深いというよりは、多様な文脈の中で多様に解釈され得るということです。ある言葉が自分の人生の中でなんらかの意味を持つことを体験することこそが、大切なのではないでしょうか。

卒業生の皆さんには、移り変わる人生のときどきに、自分に必要な言葉を見出していただけたらと思います。多くのものに触れて、様々な人と関わって。

<参考>
須賀敦子『須賀敦子コレクション ヴェネツィアの宿』白水社(白水uブックス)、2001年

准教授 星 圭子


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by bwukokusai | 2013-03-19 10:10 | 教員コラム