文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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コリー・テンボーム博物館

 日本風に言うならばおよそ14畳ほどであろうか、それほど広くはないリビングルームに12,3人の来館者が通された。

 「町の広場を歩こうとしても、一歩一歩をうかがう者がある。終りの時が近づき、私たちの日は満ちる。まさに、終りの時が来たのだ。」

 そのリビングの壁に、『旧約聖書』(イスラエルの民にとっては『タナッハ』)「哀歌」第4歌18節が掲げられていた。この1節は全ユダヤの歴史を表すとともに、また同時にナチスの探索を逃れ、ここに息を潜め隠れ住んでいたユダヤ人家族の心境を表すものでもある。追手が今にもこの隠れ家を暴き出し、自分たちを引き出し、収容所に送り込もうとしている。神の義が実現される「その日」「終わりの時」、終末の時は、この世のすべての罪が暴き出され、悪が罰せられる時でもある。その終末はユダヤの神ヤハヴェを信じるユダヤ人にとっては待望のメシアが到来し、「正義と恵みの業」が実現する、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことをしない」、喜びの時でもあるはずだ(『旧約聖書』「イザヤ書」9・6、2・3-4)。しかし、その時とは、個人や家族・民族の苦難を通過した後にのみ望まれるものである。

 コリー・テンボーム博物館はユダヤ人をかくまっていた当時のまま保存されていた。来館者全員がソファーに座ったことを確認した後、ガイドの女性が参加者に自己紹介をするように求めた。フランス、スウェーデン、デンマーク、スペイン、そして日本からの見学者たちであった。英語とドイツ語で彼女は丁寧にこの博物館の由来と意義とを語ってくれた。この家に隠れていた家族は、自分たちがナチスに発見され、絶滅収容所に送られ、殺害される時が近づいていることを予期していた。そのような絶望と、その先にしか望みえない希望とが同時に歌われている。19節には次のように歌われている。

「私たちに追い迫る者は、空を飛ぶ鷲よりも速く、山々に私たちを追い回し、荒れ野に待ち伏せる。」

 どれほど逃げてもどこに逃げ隠れても、圧倒的な力を持つ敵はどこまでも追いかけて来、命を奪う。ソロモン王の築いた第2神殿が新バビロニアにより破壊された(紀元前587年)直後に歌われたこの哀歌が、2500年の時を隔て、ハーレムの隠れ家で哀しくも嘆き歌われたのであった。イスラエルの民は民族の苦難を忘れないために、このエルサレム神殿崩壊の日とされる、ユダヤ暦アブの月(グレゴリオ暦7月から8月)9日「嘆きの集い」にこの「哀歌」を繰り返し歌ってきた。しかし同時に、この歌を、彼らは、過去の出来事ではなく、今まさに自らに降りかかって来ている苦難として歌うのであった。

 このコリー・テンボーム博物館はアムステルダムから電車で20分足らずのハーレムにある。アムステルダムは実に猥雑な街である。およそ、池袋と新宿と渋谷、そして銀座とが住宅街を間におかずに連なっているかのような街である。観光客に溢れかえり、路上にはたばこの吸い殻とゴミとが散乱している。売春は合法化され、EU各国から「仕事」を求め移動してくる多くの女性たちで街は溢れている。マリファナは街中のコーヒーショップ(喫茶店ではない)で販売されている。同性婚も許容され、無神論を大ぴらに語ることに、何ら心的抑圧を受けない街である。 
(以下2013年5月21日掲載予定)


教授 木村 清次

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by bwukokusai | 2012-12-18 11:10 | 教員コラム