「ほっ」と。キャンペーン

文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

bwukokusai.exblog.jp
ブログトップ

愛を読むひと――「シネマ小平」から

 文化学園大学では、基礎教養の充実や職業意識の育成などをはかる目的で、原則として2月と9月にそれぞれ1週間程度ユニークな授業を行っています。具体的には、一つの科目を専門の異なる複数の教員が担当するものや、産業界あるいは地域との交流を基礎においた授業などが開講されています。集中講義のような形で行われるこの授業は、本学では「コラボレーション科目」(学生は「コラボ」と省略しているようですが)と呼ばれ、学部・学科・学年の枠を超え多くの学生が履修しています。
 今回はこの「コラボ」科目の一つである「シネマ小平」について書いてみようと思います。この授業は、英米文学、英語学、国際関係学といった分野を専門とする私を含めた5人の教員が担当し、映画を通じて人間のあり方をみつめ、映画の背景にある社会や歴史などの知識を深めようとするものです。今年は、「コンプレックス」を共通テーマに設定して、5人の教員がそれぞれ映画を選びました。
 私が今回担当した映画は、「愛を読むひと」(2008年)です。まず、ストーリーをざっと追っておきましょう。1958年の(西)ドイツ、15歳のマイケル(ドイツ語読みではミヒャエル)は、通学途中で気分が悪くなり年上の女性(ハンナ)に助けられます。マイケルは回復後この女性と逢瀬を重ねるようになるのですが、ハンナはマイケルに本の朗読をさせるのです。彼は、ハンナのために『オデュッセイア』、『犬を連れた奥さん』、『チャタレー夫人の恋人』などの作品を、戸惑いつつも心をこめて読み続けます。でもこのような状況は突然幕切れを迎えます。ハンナが姿を消したためです。8年後、マイケルはハイデルベルク大学の法科学生としてナチス戦犯の裁判を傍聴するのですが、その時に被告席にいるハンナの姿を見つけるのです。
 映画の後半は裁判シーンを中心にストーリーが展開しますが、ここで初めて、ハンナが文盲であるという事実にマイケルが気付きます。ハンナがなぜ文盲のまま生きてきたかを具体的に説明するシーンはありません。ただ、全てを犠牲にしても隠し通そうとするほどの強いコンプレックスが彼女の半生を支配していたことが淡々と表現されています。このようなハンナを演じるケイト・ウィンスレットの人間描写の何と深いこと!
 この映画のもう一つのテーマは、ドイツが自らの戦争犯罪をどのように裁いてきたかという問題と関連しています。勝者である連合国がナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いた裁判は「ニュルンベルク裁判」と呼ばれていますが、この国際軍事法廷での裁判とは別に、(西)ドイツでは1950年代からナチス関係者を自国の法基準で裁いてきました。1979年にはナチス犯罪の時効が廃止され、永久に追及することが決まりました。戦時中、強制収容所の看守をしていたハンナが、1960年代になって大量虐殺への関与を問われたのはこのような事情によるものです。徹底的にナチス関係者を追及するドイツの姿勢は、正面から戦争責任に向き合うものとして評価されることが多いのですが、問題点がないわけではありません。たとえば、戦争犯罪の軽重を無視してナチス関係者を無差別につるしあげ、彼らに戦争責任のすべてを帰してしまうことにより、国家としてのドイツの犯罪を免責する結果を生んでしまうのではないかと指摘する声もあります。裁判官から、ガス室に送り込むユダヤ人を「選抜」した状況を厳しく問い詰められたハンナが、「あなたならどうしましたか?」と問い直すシーンは圧倒的な迫力をもっていました。明らかにスケープゴートにされたハンナと、彼女の問いに答えることなく無期懲役の有罪判決を言い渡す裁判官とのコントラストが見事に映し出されています。この映画には、「年の差カップルのラブストーリー」以上の見所がありますよ。

教授 中沢 志保

文化学園大学 現代文化学部 国際文化・観光学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2012-10-02 10:47 | 教員コラム