文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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“大人”と“こども” その違いは?

 新しい学年度が始まって早二ヶ月。見る側が少し慣れて来たせいか、4月の当初には“こどもがどっと入って来た”と感じられた新入生たちも、ゴールデンウィークが過ぎた辺りから、目に馴染んで来るようになる。小学校、中学校、高校そして大学を問わず、その最高学年の者から見れば、皆一様にそう感じるようであり、これは今も昔も変わらないようだ。この場合、相手が“こども”に見えると言うことは、見る側からすればそこに何かの違いを感じ取るからであるが、程度の差こそあれ、どうやら自分を大人の側に、あるいはより大人に近い側に置いて見ているからであろう。
 さて、ここからが問題である。では、我々は一体いつ本物の“大人”になるのであろうか。これはつまり大人とこどもの違いは何かと言うことであり、そこにどのような区別の基準らしきものがあるのか、と言う問いである。
 案1:「こどもと大人との間に本質的な違いなどはなく、小さな(身長・体重・年齢)大人のことを“こども”と言い、そして大きなこどものことを“大人”と言う。」
 もし大雑把な身体的と言う基準からすれば、単純にそのように言えるかもしれないし、例えば薬の服用法などがそうであるし、さらに人権を安っぽく振りかざせば、“大人もこどもも皆平等だ”とも言えるであろう。しかしこの答案では、やはり十分な納得は得られないであろう。
 案2:「酒やタバコを嗜むことが許され、さらに選挙権を持つことができるのが大人である。」
 別に二十歳になったら突然大人に成れるわけでもあるまい。我が国の現行法律で二十歳を基準としているのは、ある種の政治的な都合からであり、経済的に自立していない者が酒を喰らって煙草をふかしている姿は、第一に生意気であり、目障りだと言う感情が先に立つからのようであるし、二十歳にもなれば一応は最低限の分別や社会的な常識・良識、責任感を持っているはずだ(べきだ)から、政治的な判断が問われる選挙権を与えても良いのではないかと見なされるからである。だからこそ、近年の成人式での目を覆うばかりの乱行に対して、大きな非難が巻き起こるのである。そうすると、この“二十歳を基準とする”は、あくまでも見込みや強い期待を背景に設けられたものであり、とりわけ二十歳と言う年齢に確固とした保証があるのではなさそうだ。
 案3、案4、・・・・・・。様々な答案が考えられよう。

 大人とは何か。人々にとってこの問いは、大人と言う言葉が当たり前すぎるほどに日常に深く関わっているものの、そうであるからこそ却って深く考えることが少ないものである。この世に生まれでたこどもは、自分も他人もやがては成長して大人に成って行くと言われている。しかし、それは何も考えなくても自然に本物の大人に成って行けると言い切れるほど安易でなことではないであろう。
 大人に成ると言うことはどういうことなのか。そして本物の大人であると言うことはどういうことなのか。二十歳を目前にしていても、あるいは少し過ぎてでも、またとっくの昔に経ていたとしても、特に世の中や世界が大きく揺らいでいると言われている昨今では、老いも若きもいま一度、虚心に戻ってこれらの“大人の問題”をより深く考えてみることが必要なのではないだろうか。大人の姿を見ながらこどもは成長すると言われるが、その肝心な大人が偽物あるいは“大人モドキ”でしかないとすれば、・・・・・誠に恐ろしい。

  「十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き ・・・・・」
 あの「赤とんぼ」の歌詞にある“姐や”は、“幼い私”の目からも、もう十分な大人であったようです。この時代の“大人”とは、どういうものとして捉えられていたか。想像を逞しくしてしてみれば、きっと面白いと思います。

                                                           
                                                                                       准教授 窪田 忍

 
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by bwukokusai | 2012-06-05 10:30 | 教員コラム