文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

bwukokusai.exblog.jp
ブログトップ

命より大切なものは、本当にないのか?

振り返れば、今からちょうど17年前に、それまでの17年間留守にしていた日本に“復帰”した。ほんの三、四年の留学の予定で出国したときは、未熟ながらも飲み屋で飲酒しても何ら問題にならない年齢であった。さて、出かけては見たものの、滞在先の人や文化や社会についての“なぜ?”“どうして?”の疑問は意に反して益々増えていくばかりで、中途半端で終了させるのもの癪に触るので、何とか納得のいくまで居残ってやろうと思い立ち、年月を重ねているうちに17年になってしまった。

そう言う訳で、私には70年代の終わり頃から80年代の全部、そして90年代の半ば頃までの、日本での生活体験が非常に乏しい。同世代ならばあの“バブル華やかりし頃”を体験している訳だが、それもない。そして、復帰して半年も経たないうちに次第に強く感じ始めたのが、ある種の「違和感」である。70年代の雰囲気と言うか人々の持っていた共通の意識や感覚みたいなものと、眼前に繰り広げられる90年代中期のものとが、まるっきりつながらないのである。まるで“ドッキリ カメラ”を仕掛けられているような感じがするのである。“新しい日本”の人々は確かにこの“自然の流れ”に身を任せて、“自然態”に見えるのだが、私の感覚にはエイリアンに乗っ取られてしまったかのような奇妙な、敢えて言えば「日本人を装う異星人たちとその社会」みたいに感じるのである。

心置きなく話せる数少ない友人たちと、議論をしたことも度々であるが(そして今も継続して議論しているのだが)、はじめのうちは「浦島太郎だね」とあしらわれていても、話を深めていくと一様に「確かに。今まで気にもとめていなかったけれど、言われて振り返ってみれば、確かにいつの間にか奇妙なことになっているよ」との答えが返ってくる。そして結論は、「本来は大切過ぎる“何か”であるが、それが“賢く振る舞うべきだ”という空気下で、いつの間にか消えていったような........」となるのである。

この“何か”とは一体何で、どのようなものなのか。17年経った今、まだ“これだ”“こういう経緯でそうなったのだ”と明確な解明には至っていないが、少しは見当がつくようになってきた。この間に起きた社会的な出来事、阪神淡路大震災からオウム事件、9・11事件、アフガン・イラク戦争、昨年の尖閣での中国漁船事件、そして今年の3・11東日本大震災などの際にも、この“何か”はちらほらと影を見せている。

もしどなたかこのことに感づいたり気に掛かったりしたら、ぜひお話をしたいものである。

                                                准教授 窪田 忍

文化学園大学 現代文化学部 国際文化学科のHPはこちら
[PR]
by bwukokusai | 2011-09-20 09:19 | 教員コラム