文化学園大学 国際文化・観光学科ブログ“小平の風”

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日本世間学会

先日「日本世間学会」という学会で研究発表を行いました。テーマは前回の私の担当回で少し触れさせていただいた日本語とPTAに共通する問題点についてです(http://bwukokusai.exblog.jp/12547145/)。

「世間学会」って何? と思われた方も多いと思います。
「世間」というのは、
「世間をお騒がせして大変に申し訳なく思っております」
とか、
「渡る世間に鬼はなし」
とか言うときの、あの「世間」です。

かつての日本語には「社会」という言葉はなく、「世間」とか「浮き世」などの概念しかありませんでした。今では私たちにとってなじみ深い「社会」という言葉は、societyの翻訳語として幕末から明治にかけて使われるようになったものなのです。

社会と世間。
日本人が学校で教科として勉強するのは、「社会」のほうです。
しかし、何か不祥事を起こしてしまった時のお詫びの言葉は、「社会をお騒がせして申し訳ございません」ではなく、「世間をお騒がせして申し訳ございません」です。

歴史学者(ドイツ中世史)の阿部謹也氏(1935-2006)は、日本には「世間」は存在しても、「社会」は存在していないのではないか? と鋭く問題提起をしました。
そのような問題意識のもと設立(1998年)されたのが「日本世間学会」というわけです。

阿部氏やその仕事を受け継ぐ研究者によれば、「世間」の特徴として、①契約よりも贈与・互酬、②個人主義よりも集団主義、③実力よりも長幼の序、④実質よりも儀式、⑤平等性よりも排他性(ウチ/ソトの区別)などが挙げられています。

私たちが「世間」をきちんと見すえることは簡単ではありません。
そのひとつの理由としては、自らの姿はそもそも見えにくいということがあります。そして、もうひとつ見落とされがちな理由があります。それは日本人が意識の上では「社会」に暮らしているつもりになっているということです。

世間学会の案内文の中には、
「世間はわが国では『隠された構造』としてあるが、しかし、それは依然として『謎』のままになっている。」
とあります。

案内文の最後に「学会のさしあたりの目的」としてあげられている三ヶ条を紹介しておきましょう。

1.哲学、法学、言語学、歴史学、経済学、経営学、精神医学、文化人類学などあらゆる西欧 から輪入された学問領域を、世間という観点から批判的に見直す学会をめざす。
2.細分化されタコツボ化された学問領域や、(学会という世間の)つまらぬしきたりなどといった、いわゆる「アカデミズム」にとらわれない「出入り自由」な学会をめざす。つまりゆるやかであたらしい「知のネットワーク」をめざす。
3.なによりも大事なことは、「隠された構造」である世間を対象化すること。つまり自らの存在(実存)を対象化しうるような内容をめざす。

「自らの存在(実存)を対象化しうるような内容をめざす」というところにとても魅力を感じています。


日本世間学会のサイト
http://www.sekengaku.org/

世間学関連の書籍
阿部謹也『西洋中世の愛と人格 - 「世間」論序説』(朝日新聞社 1992、朝日選書 1999)
阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書 1995)
佐藤直樹『世間の現象学』(青弓社 2001)
岡本薫『世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」』 (ちくま新書 2009)
鴻上尚史『「空気」と「世間」』(講談社現代新書 2009)
                                   
                                             准教授 加藤 薫

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by bwukokusai | 2011-09-13 18:19 | 教員コラム